2011年8月16日火曜日

答えを生きるということ



ナワールガーデンから離れて








福岡の糸島に来た。








家族と一緒に。




















この場で、一人の自然農を続けてきた








松尾靖子さんに出会った。





















靖子さんから畑を借りた。












はじめて稲作をはじめて、












答えを生きることを












ここで教わった。




















ナワールガーデンで生きることは








時の不慮をかさにきた








隠遁主義だったと思う。
























それは大切な、私の寄るべき己だったけれど








松尾さんの畑に立つということは、








まったく別の意味を持つ。




















この震災が起きた後、








ミランクンデラがいう、孤高の世界に








屹立するペニスである必要はない。












すでに物を作り出すことの欲望の








溶鉱炉は閉じようとしている世界に突入した。




















福岡、糸島に来て








松尾さんに出会って教わったことは












答えを生きることだった。
















いままで竹林の賢人を待ち望んでいたのではなかったか?












隠遁することに








無常の価値を見出していたのではないか?












志向性に逃げては、いなかったか?




この西の地では


リアルな生に


帰属して生きる



国と人がある。











ここで学ぶことは、



草の上に立ち




生きる糧になり、生きる根拠となり、いのちが充足するか否か



突きつけられ、素直に考えることが



奇跡のように、可能である豊かな大地だった。









精のような人と


その人が生み出しはぐぐむ大地があった。


出会ってしまってどうしよう。


松尾さんのことを、たくさんの人に伝えて、そして


ナワールに戻ります。



懐かしさと時を越えた、


大地とつながった人がいる円環する場所で。











ナワールガーデンに。

































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