2010年7月9日金曜日

あしたからタオス

マロウのやわらかくて、白い花が咲いた。
指でつまんで、葉と花を食べる。


*  *  *


週末、みんなと集まって、
ナワールガーデンで
見田先生を囲んで
竹の庭で火を焚いて
庭の草を食べた。


一緒に住むことだけが、
共同体でもなく、

ただここに、
ナワールガーデンに、集うことで
こころのバンドはできる



咲き乱れる紅い花。
アジサイと一緒に、みんなが集う、
テーブルに飾った。
いままではずっと緑。
時期が来て、急に紅く咲き出した花に
この色が、ずっとここに、花を咲くために
準備して、在ったことに、
驚く。
突然景色を変える色
驚きと共に、顕在化する赤い花。
でも少し前から、このはなのつぼみは準備していて
明らかになる前に、観察していれば
緑のなかに、すでに赤がある。
そして土の中の根や種にも、
この赤の色は、すでに在った。
  *   *   *
ずっと一緒にいなくてもいい。
いのちがほとばしる瞬間に、
静かに、竹の庭に、
顕在化する、いのちのかがやきが集えれば
いつもは緑の中
種の中に
新芽の緑の中に
薄緑のつぼみの中に
その赤の色は見えなくても存在している

ナワールの竹の庭で
紅い炎の火を囲み、草を食べ、土に座り
雨を感じ、交感しあう、いくつかのこころ。
離れていても、
みえなくても
たとえ一緒にくらさなくても
顕在化せずも、
ここにある。
いつか時を経て、貝の火のように、
また共に紅く咲く機会が
きっと在るはず。
その紅い
「とき」を内在する
今日を
わたしひとりじゃなくて、
いつでも、
生きてる。


先生が帰って、
みんなが海に遊びに行った。
私は、龍平くんの蚊帳をかりて、
窓をあけて一眠りした。





みんなが帰って、
又集うとき
伸びた庭の草は
又景色を変えるだろう。
セントジョーンズワートの花。
西洋オトギリソウは、うつ病のくすり。花が咲く時期は
薬効がたかまる。
桃がなった。
桃に為った。


*  *  *

昨日、庭にいて、
今日から、ずーっと行きたかった
タオスに旅行に行きます。

プエブロ族の住むところで、
「今日は死ぬのに良い日」の、
青空が広がるところです。


DHロレンスが、最後に過ごした場所
理想郷の場所に今日から行きます。

「島を愛した男」を経て
ロレンスは鳥や牛を飼い、農園を仲間と共に共同体を
タオスで、作ろうとしました。

そのタオスのプエブロ族のお祭りに
行ってきます。

また庭に帰ってきます。
ナワールガーデン、
わたしを
待っててね。

2010年7月2日金曜日

数日の休暇

仕事を休むことができて、
4,5日、ナワールガーデンで、時間をすごすことができた。

梅雨で雨で、憂鬱なときもあるけれど、

ときたま日が差す庭は美しくて、

蚊やいろんな虫に刺されて、うんざりすることもあるけれど

毎日違うガーデンの作業と

みんなとの時間はたのしくて、

4日間があっという間に過ぎた。


きゅうり、
黄色いかわいい花が咲いて、小指の先ほどの
小さいきゅうりができていた。

下から5段目までの花と脇目をとると、実つきが
よくなるので、
小指ほどのきゅうりをそのまま齧った。



はじめてのきゅうりは、産毛があって、
大地の水の味。


朝、目が覚めた。
  *  *  *



毎日、いろんな人が来る。
ここに泊まりに来たみんなと
一緒に、海に行った。




こどもも一緒だった。


私は前の日の疲れが出て
海に溶けた。



  *  *  *
毎日
増えすぎた虫を殺したり。


雑草を取ったり、
パンを焼いたり、


収穫したり


雨に悩んだり。



満月の日に収穫したどくだみ。


花が満開だった。

この時に収穫すると薬効が高い。
小さい頃、隣のおばさんが毎日、どくだみを煎じて飲んでいて、
飲んだときに、ひどく苦かった思い出がある。


でも乾燥させて、
レモンバームの生葉と一緒にお茶にして飲んだら
おいしく飲めた。


このお茶は
梅雨の時期には、体のむくみをとってくれる。


毎日新しい、ハーブティーのブレンドができる


  *   *   *



満月の次の次の日の夜、
みんなで蛍を見に行った。
ここから歩いて、住宅地を抜けて、


自然森の中へ。



月明かりで、一人だったら、さびしいところ、
みんなで、一緒に歩く。


どこに蛍がいるのか、
わからなくて、1時間ぐらい森の中を歩く。


私が歩くと、
鳥が驚いて飛び立つ。
狸みたいな動物が、横切ってく。
夜は、人が来てはいけない場所に
みんなで


泥濘、谷に下りていく。


小道が開けて、漆黒の空。
水が流れる、小さい川の水の音。


月明かりに照らされた、谷間には、

かえるの声と、森の声がする。



湿った空気
今日は風がない。



ほたるのひかりが、揺れていた。



谷間の群青色を深くした夜の闇に

小さく振動しながら


光が浮かんで、点滅して、消えた。


いくつも

いくつも


みんなでそこに包まれた。


写真に記録することもできない。

言葉で伝えることもできない。




この湿った、
繊細な振動の輝きは

たとえ、私がこの世にいなくなっても

たぶん、時間と空間を越えて、
どこかで、

続いてる



蛍は、森を異化させて、


人がよるには入ってはいけない、漆黒の森と


いま、生きている、私たち

そして
いつか生まれては死んだ、たくさんの「self」と

こだまのように、よびあい、


蛍がくるときだけ、みんなを、


ここに、つないでくれる。



鎌倉は、ほんとうに、不思議な場所。



   *
けいこさんの手に、森をあるく最後まで
、ずっと蛍が乗っていた。



昨日の朝、
ナワールガーデンの竹やぶが
小さい笹と、藪からしで、荒れていたから。


ずっと無心に、ひとりで
竹を刈る。
人が庭と共存するために。
大事な仲間と


大地と、いのちと、社会のことを考えるために。


大切なことを
語り合うために。