2011年2月25日金曜日

竹ドーム



今年の春からの畑のために、
先週からみんなで竹のビニールハウスを作っています。

マイケルが、図面を用意してくれて、
切り出した竹を割り、組み立てています。




場所を整理して、この中を温室に。

できがあったら、今年の種まきの準備に取りかかります。


途中経過はこんな感じ。

また週末に、作業します!

2011年2月18日金曜日

満月

月の暦、最初の満月。
とても大きくて、綺麗。
春一番の風のあと、
バーレーンで人が今殺されている。

こんなとき、わたしはどうしらいい?

祈るだけ。
祈るだけ。
遠く離れた国で、解放のために
わたしやあなたと、
同じ命が殺されてつぶされていってる。

わたしにできること、
とにかく、満月のときに、あした種をまこう。
明日、今年初めての、種まきを。
畑に最初に植えるじゃがいもを。


+++


昨日は湘南は嵐。乱れた心と風は一体化して、
満月の今日、仕事に来ていた東京でも、

春の風が吹いた。
心がざわめく。いまも殺されている。
そして、今、わたしには、本当に、どうしようもない。

とにかく、早くナワールの庭に戻り、明日は畑をしよう。

世界の裏側で
とても激しい、春の風が吹いている。
多くの人が沸き立ち、殺されて
内側から花開く、解放と歓喜と熱狂のなか、
血が流れ、いのちが踏み荒らされている。

地球の裏側で、今動いている革命を
わたしは見守ることしかできなくて、
どんなに心が乱れても、
わたしはできることがない。
できることが私には、種をまくことしか、
それしかない。

どうしようもないくらい、ナワール庭の中に
静かな春の風が吹く。


数日前、
周りの同志と仲間が次々に殺される、リアルな夢を見た。

自分が革命のために立ち上がる夢で、
仲間が殺されるたびに
恐怖で起きてまた眠ると、
その夢の続きになる。
2回目、目が覚めて、3回目に眠るとまた同じ夢が続く。
最後は、自分が首をおとされて半分に割られたところで
恐怖の中、目が覚めて、
朝になっていた。

今度の私の命は、
革命のために死なないし、そのために大好きな仲間を死なせは
しないと、目が覚めて思った。

とても、とても、へなちょこな
独りよがりな。
仕方ない。そう思ったのはわたし。
でも、いまバーレーンにいたら、
絶対死んでも、参加している当事者でありたいし
いのちを死なせたくはない。


でも、朝、強くおもった。
逃げることじゃなくて、次に生まれるときには
やっぱり、このやり方じゃなくて、
違うやり方、考えたいと。
本当に泣けるぐらい、強く思った。

この前の「私」が
自分が死ぬ前に見た夢はなんだったか?
革命のために、命を落とすことの不毛さに辟易したのではなかったか?

自分がいましていること。
鳥小屋を作ったり、種をまいたり、残飯から肥料を作ったり
山菜を採ったり、料理をしたり、一緒に食べたり、人と話したり。

このことに何の意味があるのか?
こんな、のんきすぎる日常は
革命には、本当に、値しないけれど。
今度のわたしの生き方には、やっぱり、どうしても
それをするのは、意味がある。
他にすること、思いつかない。

***

満月の今日は、今年始まりを考える日。
今年の私が生み出せるいのちの作付を考える日。
その意味を、問い直す日。
そして春一番が、心の中に。
どうしようもないいのちがつぶされる風が吹く。

自発的な花開く革命は
手段を選ばない。

こんなときに、
地球の裏側で
わたしは、のんびりと、しすぎたいのちの営みを
一年間の野菜の作付や、鳥の飼い方を
かんがえることに、なんの意味があるのか?

他にできることも、あるだろうに。
いま、助けられなくて、本当にごめんなさい。

***


私の作ったものを自分が食べること
みんなで作ったものをみんなで食べること
周りの植物も動物も、いっしょに分け合うこと
とりあえず、それしかわたしには、今できない。

今回は死ぬときに
何を思うか?
思いたいか。


まえの「私」が
解放ためにいのちを落とさせてしまったことの反省は

もういちど、たくさんのいのちをつくって、
いのちの関係性を複雑にし、はぐぐむことで
償いたい。

その春の風は、わたしの心の中に。


でもずっと
離れた所から
いま、この瞬間も、中東で大切な自分のいのちを賭けて
いまこのときに、解放を求めている人たちを見つめて
祈り、そして明日畑にいこう。


願うことは違わないと。
そう、信じて。
それしか。

おなじ満月の下で。
わたしにできることは、
それしか。

twitter
バーレーンで叫ぶ人の声を見ながら、
あした、今年初めて、
ジャガイモを畑にうえよう。
こんなことしか出来なくて。
本当に、ごめん。

2011年2月16日水曜日

作業!

雪が降ったりやんだり。積もった雪の間から、
毎日たくさんのふきのとう。
少し苦くて、又一年、春が来たと実感します。

てんぷらにしたり、ふき味噌にしたり。


晴れた週末、段々畑と、鳥小屋を作りました。

けいこさんとりゅうへいくん

一番日当たりの良い斜面の

笹を刈って、竹を切って裂いて、段々の畑ができました。

家の前の方は、これからくるチャボのために大工仕事

土台を平らにして、1坪の家を建てていきました

廃材を使って出来上がり


綺麗な夕日でした。

昨日は又雪が降って、

そんなときは一日休み。

雪の中で外で火を焚いたら

雪に反射して、白く光って綺麗でした。

朝になって雪が解けて

翌朝は、堆肥を作るのに、

昨日燃やした灰は、米ぬかと一緒に

土を掘り、埋めて、春の野菜のために

いい土になってくれるように。

もう一度、すべてが回って

すべてか必要な、関係を取り戻せるように。

2011年2月12日土曜日

雪の日 

雪が降って一夜明けた。
あさ、凍った畑にルッコラをとりにいった。



昨日は昼から雪が積もって、
窓ガラスを磨いて
部屋の中から、外を見てた。





一日ここから出れない。
雪が降って、日が暮れていく空は、日が沈んでも、
世界が白く光って、墨色の世界になっていった。

散歩へ。
庭と、森の中へ、一緒に出かけた。






竹のアーチが雪の重みで重なって、
小さな部屋になった。

ハンモックに腰掛けて上を見上げると
墨色の空に広がる白い枝が
重なって、網の目に。
こちらに握手してくる雪の手。

白くて、重力のない、大きい世界が、こちらに招待してくれる。


森へ一緒に歩く。

人のルールがない世界へ。

自分の大きさが小さくなったり、大きくなったり。
黒と白の間のたくさんの色だけの
雪が降る森の中。

森のルールに従って、
私は小さくなる。
あなたのルールは
荘厳で大きくて、
つつまれて。

確実に正しいルール。

でも心もとない。とてもとても大きすぎるから

森を歩いて、
そして
人の世界に
この家に戻ってきた。




気がついたことがたくさん。
戻ってきたから。

暖かい明かり。
人と人







ここに、もう一度
暖まるために
戻ってきた。

フリードリッヒの絵の、孤独で静寂な森の世界から
どこにでも存在している荘厳な世界から。

家に、そして
人のルールに。


雪の森から持ち帰ったものは、
そのルールを
私のルールにすること。
人のルールと
あのルールを近づけること。

そしてすべてのルールをなくすこと。



もう一度。

2011年2月3日木曜日

月の始まり 月の終わり

節分と新月
月のサイクルの一年の終わりの日
太陽が沈んで
光が落ちる


今日から 新年。
雑草も、野菜も、今日からまた、はじまり。





庭はまだ冬だけれど、
誘うような水仙の香り
どこまでも どこまでも
植物は、昆虫と、動物と、種を越えて
私にまで交歓する
美しい香り


紫えんどうの花
小さくて、細かく振動するはなびら

春は来てる

冬は光がとおる
ある一時、植物はいのちの眠りを
庭はいのちをやすんで、
今日からまたはじまった。
静かな眠りから覚めて
冬の光は、透き通る。
一年の太陽のはじまりと月の始まりの間の
元旦から 月の元旦まで
冬の空の光と繋がる
瞑想のとき
朝も夜も昼も




これからはプラクティカルに
堆肥を作り春の準備を

やっと、らせんが戻った

畑へ
庭へ
土へ
光へ
いのちへと