2011年8月17日水曜日

ナワールから旅 九州1 墓参り

ナワールガーデンから祭りを終わって旅に出て、

きょう、生まれて初めて、お盆に墓参りをしてきました。



311の震災後、お彼岸に、家族を連れて九州に行き

自分の祖先の墓に、生まれてはじめて、お参りした。

本当に生まれて初めて。
うちの母は、九州から家出して東京に出てきたのでした。


私は生まれたときから都会で育ち、

ずっと故郷というものを知らなかったけれど、

九州に戻ってきたら、時はとどまり、そこに生きている「死」がありました。

いったい、私は今まで、弔うことを忘れ
何を憂いてきたのでしょう?




  +  +  +



震災の後、たくさんのいのちの冒涜が起き

憂い、迷い、弔い喜ぶための祭りをして、

そしたら、軽く、世界が反転した。

都会に住まうことで、
自分はいままで、自分の祖先を弔うことを忘れ

祭ることの後にある、世界の反転を

実感することなしに、
重苦しく暮らしてきていた。


「それ」に
花を手向け、笑うこと。
ともに在る
根拠在る安堵


   +  +   +



人間はどのように滅びるのか、

そんなことを今、実際の、大方の人が思い憂うときになって

まるで、今は、世界が反転したようです。


美大生のころ、

「無限の経済成長」が人間に自由と開放をもたらすという

資本主義の只中で、空虚な生は、耐え難いものでした。

そのとき、奥野健男先生のゼミで
三島由紀夫の「美しい星」のことを聞いた。

その小説は、核兵器を持った人類が滅びようとしているときに、

宇宙人が人類の運命について話す物語でした。


人類は3つの罪があって、しかし

人類が滅びようとするときにも、

人間には美徳が5つあるので、

それに免じて助けてくれるかもしれないというくだりがありました。


そのときから、ずっといままで、その5つの美徳は

私の心の支えであった。 だけれど、志向性の中、

それをいままで、本当の意味で実感したことはなかったのです。

311の後、この小説が、強ち、現実味を帯びて思えるときになって、

はじめて実感して、5つの人の美徳の美しさが、
今はリアルに、喜びの中、感じられました。



確か、人類は3つの宿命的な病気によって、
滅びることになるのだけれど、
それは今の「無限の経済成長」の軸ともいえる
ものでした。

その一つは事物への関心であり、
もう一つは人間への関心であり、
もう一つは神への関心である。

と。

だけど、人には5つの美徳がある。


彼らは嘘をつきっぱなしについた。

彼らは吉凶につけて花を飾った。

彼らはよく小鳥を飼った。

彼らは約束の時間にしばしば遅れた。

そして彼らはよく笑った。

 
 ねがわくはとこしなえなる眠りの安らかならんことを


これらの5つの美徳のすべては
「無限の経済成長」の世界から、すり抜ける喜びのことだった。

お墓参りして思う。
祭りをして思う。

楽しいことは、今にしかない。


未来の人間を滅ぼすことができても、
どうして現在この瞬間の人間を滅ぼすことができようか?
あなた方が地上の全人類の肉体を滅ぼしても、
滅亡前のこの人間の時は、永久に残るだろう


手向けた花と、ひまわりが、もう枯れる。

そして、今を祭りに。



旅を続けて、

庭に戻るから。

2011年8月16日火曜日

答えを生きるということ



ナワールガーデンから離れて








福岡の糸島に来た。








家族と一緒に。




















この場で、一人の自然農を続けてきた








松尾靖子さんに出会った。





















靖子さんから畑を借りた。












はじめて稲作をはじめて、












答えを生きることを












ここで教わった。




















ナワールガーデンで生きることは








時の不慮をかさにきた








隠遁主義だったと思う。
























それは大切な、私の寄るべき己だったけれど








松尾さんの畑に立つということは、








まったく別の意味を持つ。




















この震災が起きた後、








ミランクンデラがいう、孤高の世界に








屹立するペニスである必要はない。












すでに物を作り出すことの欲望の








溶鉱炉は閉じようとしている世界に突入した。




















福岡、糸島に来て








松尾さんに出会って教わったことは












答えを生きることだった。
















いままで竹林の賢人を待ち望んでいたのではなかったか?












隠遁することに








無常の価値を見出していたのではないか?












志向性に逃げては、いなかったか?




この西の地では


リアルな生に


帰属して生きる



国と人がある。











ここで学ぶことは、



草の上に立ち




生きる糧になり、生きる根拠となり、いのちが充足するか否か



突きつけられ、素直に考えることが



奇跡のように、可能である豊かな大地だった。









精のような人と


その人が生み出しはぐぐむ大地があった。


出会ってしまってどうしよう。


松尾さんのことを、たくさんの人に伝えて、そして


ナワールに戻ります。



懐かしさと時を越えた、


大地とつながった人がいる円環する場所で。











ナワールガーデンに。

































2011年8月14日日曜日

ひまわり祭り、ありがとうございました










8月7日のひまわり祭り、たくさんの人に来ていただいて、
本当にありがとうございました。

心から、いいお祭りになりました。
手伝ってくれたみんなに、感謝しています!!


★手伝っていただいた皆様

ライブ/
元たまのちくさん、しびれキング、hochiさん

講義/
たいよう講の森野あつしさん、見田宗介先生

ストリーミング/くぼたさん

バーホーリーバジルカクテル/けいこさん、ひでくん

庭デザイン/けいこさん、生意気

フード/ 
  ファラフェルるんちゃん、ワンダーキッチンさん、パラダイスアレイこずちゃん
  ところてんのかおたん、ゆんちゃんデザート、東京エールさん

タイムキーパー&アナウンス/goくん

チラシ/平尾香

受付/はるちゃん、ゆりねえさん

車の手配/百年さん

ドネーション係り/きょうこちゃん

ライブペインティング/平尾香

畑のハーブ虫除けスプレーワークショップ/よしこちゃん

コンポストトイレ作り/アダム、フィル

本気根気狸/ドゥイ


=================

本当にありがとうございました。
みんなと一緒にできて、本当に楽しかったです。




写真、撮り忘れてしまったけど、120人以上の人が集まった。

しびれくんの歌も良かった。

ちくさんの歌に感動した。


自然エネルギーの話もみんなで聞くことができて、

自分たちが進む方向が、不可能じゃないし、できそうだと思えた。







子供たちもたくさん来てくれた。





どんな形でも、どんな風にでも



みんなが楽しんでいるのが、一番の願い












お祭りは、鎌倉山の神様が助けてくれた。

この場に来る

すべての人と生き物が、一瞬でも


心から楽しいと思えた。


そう、ナワールガーデンのひまわりに願う 。


喜びを生み出すために





物質的なモノはより少なく



いのちは豊かに





シンプルに生きていくことを。




見田先生に、ここでお話いただいて、


ありがとうございました。


9年前に、先生が蒔いてくれた言葉の種が、この庭で開きました。









お祭りが終わって、みなに感謝して、





私は、

旅に出ました。

1ヶ月半、旅をして、秋には、ナワールガーデンに戻ります。

まず、





春に福岡ではじめた、自然農の田んぼと畑に戻ります。

糸島でであった、自然農の先生である、松尾靖子さんから

たくさんの事を学んできます。



昨日、靖子さんに教わりました。





「いね」の語源は、いのちのねっこ、の意味だそうです。

一つ一つ植える米の苗を育てる作業は、





日本人の、いのちの情感を作る作業そのものでした。


水の中に手を突っ込んで、苗を植え


できた稲をつかんで、ざくっと、鎌で刈り取る


機械を入れない、手で育てる稲の田んぼは、なんと懐かしいのでしょう。


機械を使えば、これはつまらない「作業」になる。



海の民でなくとも、


直接活ける魚を殺生しながら生きる民でなくとも、


いのちの情につながる方法はある。


機械を使わず、鎌ひとつで、いのちに触ること。

稲と私が、同じ空気に触れること。 草とともに生きていることを感じ

照りつける太陽に汗をかき、そよぐ風に和むこと。


厳かで、和やかで、厳しく、ここに包まれるものが、





同じ苦境に、喜びに、そこにつながってあることの安心感は





どこにいても見える景色とともに、


いのち溶け合う海と同じく


懐かれ、情が生まれるいのちの大地でした。




つながって、ひとつのいのちであること。

そういったことを学ぶために、



少し離れるけれど、いろいろ学んで、今するべきことをして

またナワールガーデンに戻ります。

ひまわり祭り、


本当にありがとうございました。










2011年7月23日土曜日

庭に祭る、ひまわりの花



夏、鎌倉山の庭がひまわりでいっぱいになった。






朽ちた桃の蜜を吸いに



蝶が舞い降りる。




いのちに舞い降りたのは、


放射能の傷。








* * *







震災後から、毎日

現実といわれる世界を疑い


そして



共有した真実は、たったひとつ。




私たちは、まあるい、たった一つの星の表面に生きているということ。







閉じられた無限の球の中で



無限土に種を蒔く



生きることはあらゆるものと、結び結ばれ


関係をつづること。




この、放射能でさえも。






多くのいのちの結び目の中に



放射能が入り込み、いのちを踏み違え



生態系に「ほつれ」が生ずる






再生しようにも、時は永過ぎ


永遠とは何を指すのか、解らなくなった。



この、解れに、私たちは抗う。




そして花開け。




朽ちる桃に、舞い降りる蝶

まるで、汚泥に咲く、蓮のように


ひまわりがぽっかりとした、空を向くように。







ひまわり祭りの前に、


ナワールガーデンの

寄る辺なき、いのちに祭る


向日葵が


満開になって、しまいそう。


どうか、どうか



どうか、8月7日のひまわり祭りまで、咲いていて。






2011年7月12日火曜日

8月7日、鎌倉山ひまわり祭り開催!


原発事故から4ヶ月。
311の後、4月10日にこの庭でおこなった
「たねまき祭り」で
土壌から放射能を吸い上げてくれるという、ひまわりを
みんなで一緒に蒔きました。

そのひまわりが、梅雨明けと同時に
咲き始めました。

まだちらほら。

大輪の花が満開の8月7日、
このナワールの庭で、ひまわり祭りを行うことにしました。

この土地が安全で、
訪れる人が、共に、分け合って楽しく暮らせますように。

ここにくれば、素敵な音楽と、素敵な人々と、
すばらしいナワールの庭に
出会えます。
私達のからだにながれる同じ海の記憶。
太陽と、海と、植物と、音楽につながる一日を
共に過ごしましょう。


前の日の8月6日は、原発さよならパレードや
各地で大きなデモが行われます。

デモに参加した次の日は、ひまわりを眺めながら、
ゆっくり庭の草に癒されてください。



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鎌倉山ナワールガーデン ひまわり祭り2011

 8月7日(日曜日) 時間は11時ごろから日没ごろまで

海が見渡せる、鎌倉山の持続可能な自然農の畑と食べられる庭。
放射能を吸い取ってくれるひまわりを愛でながら、
原発のいらない、未来の楽しい生き方をみんなでみつけよう。

   於:鎌倉山ナワールガーデン
   キャンプインOK (虫よけや寝袋持参でね)
   参加費 一日500円 1ドリンク付き
   持ち寄り大歓迎!

+ライブ 
   「たま」の知久寿焼さん  http://www.officek.jp/chiku/
   アコースティックの最高ライブ
   (ライブ時間、料金等はのちほど)


+社会学者 見田宗介先生のおはなし(日暮れ時)
 見田 宗介(みた むねすけ、1937年生)先生は、日本の社会学者。東京大学名誉教授 。
 社会学修士。真木悠介の筆名を持ち、社会の存立構造論やコミューン主義による著作 活動によって広く知られる。


+ハーブ虫よけスプレーづくり
  ガーデンのハーブを使って、オーガニックの虫よけスプレーをつくります。
  作り方とハーブの効用がわかるよ。(材料費実費)
 
+オーガニックハーブバーにて、パラダイスアレイの特製、ひまわりパン販売!

+アート(庭アート)
 ドゥイのこどもの造形教室 午後1時より
 自然の中で子供たちのものづくり!庭で遊ぼう。
造形教室の申し込みは下記までどうぞ
http://duilab.com/honkikonkitanuki.html



駐車場がないので、アクセスをご覧になり、車は使わないでいらっしゃってください!

2011年7月5日火曜日

それでも私達は生きていかなくてはいけない

原発事故の後

鎌倉山に住む私、そしてみんなが変化していった。

それは意識の変化、なんてものじゃない。

本当に、生活の変化。

いったい、どのくらいの汚染が、

私達の上に降り注いでいるのか。









とにかく生き延びなければならない。



それが、たいした影響ではないにしても


放射能が降り注ぐといわれる空の下


私やあなたや子供が口にする食べ物を



いのちを慈しみながら、交歓し合い育てることができるのか?







数ヵ月後に収穫を迎える、食べられる植物の世話を

するべきなのか、本当に迷った。







私の施した影響が


数ヵ月後のその草に現れる。

いま手を動かし、草に施していることは


今のことじゃない、先の育ついのちの

数ヵ月後に食べる私につながっている。


今は先を含んでいる営み。


今食べたものは空間と時間の関係性の中で




土や水や空気を汚せば、私も、
先の私も、私の家族も友も
みんな汚れる。




植物がいのち絶える時間のサイクルは


循環している。

先を思うことと、今を思うことは


一つの命の中に内在している。




いのちのはじめから最後のプロセスの間に

複雑に他の生物や微生物が


織物のように重なっている。


いま降り注いでいる放射能といういのちに対する冒涜は


必ず、織物に不自然なずれを生じさせるだろう。




それでも私達は生きていかなくてはならない。





鎌倉に戻り
ナワールガーデンのひまわりは大きく育っている。
もう、私の背を超えて。
来月には、大輪の花が咲くだろう。



いのちの祝いに 8月7日

友達と集まって、小さなお祭りしたいと思う。


まだ生きていくために。

未来の時間をくださいと

ここが、願う場所であるために。

2011年4月26日火曜日

ヒマワリが芽を出した






鎌倉山に戻ってきた。














前の日に降った雨は嘘のように晴れて、日曜日は快晴で





海にはたくさんのヨット。





そして、やさしい海に、サーフィンする人たちもたくさん出ていた。






事故があったことが嘘のよう。畑にはたくさんの花が咲いている。






















前日の雨で竹の子も伸びて

















出たばかりのたけのこは、とても柔らかくておいしい。

いくつか掘って、みんなで食べた。








今は、昨年の秋に捲いたエンドウが








きれいな花を咲かせ、たくさんの豆がとれます。







そして、たねまき祭りで、

みんなで播いたひまわりの芽も、ちらほら出てきていました。

























多年草のエキナセアや、コンフリーもまた芽を出してる。







だけど、





私は今年の春、ここでもう一度、葉物と実がなる野菜の



種をまくのを止めることにしました。

だれも怖くて口にしないけれど、


原発が爆発し、放射能が飛び散る可能性が残っているから。


ひまわりを捲いて、多年草はそのまま残し、


影響が少ない、じゃがいもや、さつまいも、ヤーコンなどの


根野菜で、水が少なくても育つものだけを、


ひまわりの間で、育てようと思う。



ヒマワリが咲き、夏が終わる頃、


原発が終息し、放射性が収まるようなら、


秋に、もう一度、希望と一緒に、種をまこうと思う。



こんなに美しい庭に、


種を捲けないのは、悲しいけれど


捲いて育った苗が、


汚染されてしまう可能性がある今、


育てたものが、汚される悲しみの方がより大きいから。


だから、とにかく、ひまわりを、みんなで捲いた。






この日の夜、葉山で行われた田中優さんの講演会に出かけた。


新しい、自然エネルギーについての話を聞き、


それについての可能性を話し合った。



講演の最後、田中さんが、福島の有機農家の方の話をした。


原発が壊れ、放射能が降った次の日、


子供たちに、野菜を届けるのを楽しみにしていた


キャベツの有機農家の方が自殺をした。


つらくても、生きていける。だけど、


人が本当に失ってはいけないものは、希望だと。



だから、田中さんが進めているスマートグリットは


これからの人への希望になるようにと


話していた。



福島の有機農家の方には、選択肢はなかったのか?



彼が育てていたキャベツはアブラナ科で、もしかしたらそれを育てて

破棄すれば、土は洗浄できる可能性もある。


鎌倉山のこの土地も


アブラナ科の菜の花がたくさんの花が咲いていて、


このまま咲かせ続けて、自然のままに、種になり、

その種を、撒き散らせるように。

どうやったらいいのか、


毎日試行錯誤で、畑だけじゃなくて、


他にも伝えていかなくてはいけないことや、


今すべき仕事を、するしかない。






どんな状況でも、いのちは生きている。


切り株の間から、

たんぽぽの花が咲いた。


とにかく、いま、生きているのだから、できることを。



別の場所も探しながら、ここで私に、できることを



たとえ、すこし庭から離れても、しようと思う。












2011年4月18日月曜日

種まき祭り、ありがとう

この間のたねまき祭りに来ていただいた皆さん、本当にありがとうございました。 種まきに参加して下さった方は、全部で30人ぐらい。デモが終わって夜のライブには、50人くらいいたような。 子供たちも多く、楽しかったです。 いっしょに種を蒔いて下さった皆さん、本当にありがとうございました。

鎌倉山の庭は、菜の花と桃の花が満開で、まわりは桜でピンク色。



まるで、何事もなかったような、本当に美しい春でした。



種まき祭りの朝、 冬の間、こうじから作っていたどぶろくを


白酒に仕込みなおしました。


できなかった雛祭り。生きている菌で、体の中の免疫を高めて


そして種まき祭りで、いのちを祝って、繋いでいきたかった。



朝、たくさんの白酒がぶくぶくと発酵しているのを確認してから、


庭に出て、放射能のチェックをした。



空気、およそ18cpm 自然農の畑の土もほぼ同じくらい。


通常の放射線量は10~12cpmなので、みんなで土を触っても、


野菜を食べても、ほぼ問題ない。



前日に降った雨が心配だったけれど、やっぱり


この場所は、守られているのだと思った。



種の準備は、ひまわり。そして、アブラナ科の種をミックスしたもの。


それとジャガイモの種イモ。



庭に集まってみんなで、


「放射能に負けない、白酒」 で乾杯してから、


ひまわりの種を蒔いていきました。



みんなで一緒に種を蒔くことができて、


この写真を撮りながら、泣きそうになりました。


とくに、子供たちと一緒に 土を触って、


いのちを育てて、 食べられる野草や、


野菜を摘んで 一緒に料理をして、食べて、話して、笑って、歌って。


本当に、みんなで一緒に、


事故からの数日、つらい時を乗り越えて、ともにいることが嬉しかった。


春になった。


ここには、たべられるいのちが沢山ある。



女の子がタケノコを掘った。


カラスノエンドウが咲いていて、種まきのときに畑の野草が


いっぱいあったので、説明しながら、一緒に収穫した。


ユキノシタ、ちょっと開いてしまったタラの芽、あしたば、


ノビル、ボリジの葉、エシャロットも引き抜いた。


ルッコラや、菜の花もたくさん摘んだ。


山菜は天ぷらにした。


エシャロットや、にら、葉物の野菜は、天然酵母のピザ生地に載せて、


庭の野菜ピザを、子供たちと一緒にたくさん焼いて一緒に食べた。



庭には、イチゴの花と、ニンニクが大きく育っている。


ルッコラの花と、エンドウ豆の花が咲いている。



本当に、この先、


放射能がこのいのちを汚染していくのか、


この海の見える土地が、この先続く地震で


西には浜岡原発もある。ここは、どのように変わってしまうのか。


そう考えると、恐怖になる。 春蒔きの種は、あまりにリスクが大きい。


まだ、原発は終息してはいないのだから。



とにかく、みんなで、そこらじゅうにひまわりの種を蒔いてもらった。


万が一、汚染が広がっても、 ひまわりが咲くころ、


自然農のままで土を露地に出さず、


秋にひまわりを収穫すれば、放射能の拡散が終息して


この土の汚染を吸い取ってくれるかもしれない。


秋になって、もう一度はじめから たねを蒔けるかもしれない。


そう、願いを込めて、ひまわりを蒔いた。



そして、保険のために、私は別の土地も探さなくてはならないと思った。


夏になってここに戻ってこられるときのために、


西に行って、みんなが一緒に、種を蒔き、いのちを育てられる場所を


見つけに行かなくちゃいけないと思った。



デイビットが作った池には、


正月、くわいがそだっていて、収穫して水を入れ直した。


たねを蒔きながら、子供たちと一緒に見たら、


たくさんのオタマジャクシが育っていた。



この一年、野菜を作っただけじゃない。ここはいのちの数を増やし、


もちろん、カミキリムシや


テントウムシだましや、夏場の藪蚊とか、


困る虫たちもいたけれど、


土の中の微生物は確実に増え野菜の種類も野草も


そして、訪れてくれる人たちも、


本当にいろんな人が、いろんないのちがつながって


絡み合って、つながって、お互いを支えあって、仲間が出来ていた。



その上に、地震が起き、放射能が降った。


私はここにいられるのか。この場所のいのちは


この先どのように汚染されるのか。



私はこのままここで、畑を続けるべきなのか?いろんなことが


頭を回って、とにかく家族を連れて、九州に行った。



でもここに戻ってきて、この畑で出来ること


自分の心の支えと、分身のような鎌倉の庭で



とにかく、デモの前に、みんなで種を蒔きたかった。


そして、一緒にこのいのちの場所を祝いたかった。



かなえちゃんと、シビレくんが来てくれて、歌を歌ってくれた。


ツキノワグマの歌は、私たちがしてきた、他の命を顧みない


私たちのやり方を思い、


本当に、胸に詰まる思いだった。


いま起きていることは、他の生き物たちが人間の開発や



発展によって、つぶされたいのちにしてきたことと、


同じこと。



鎌倉で、この日はじめての原発反対のデモが行われた。


私も一緒に歩いた。


でも、その前に、一緒にみんなで種を蒔いていのちを作っていきたかった。


東北で大変な思いをされている方がいる中、


本当に、申し訳なく思う。


2011年4月4日月曜日

4月10日種まき祭

ナワールガーデンで、4月10日たねまき祭を行います。



原発反対デモに行かれない方。

午後から鎌倉のデモに行かれる方。

午前中は、太陽の光を浴びて、大地を触って、

桜の花の下、海を見ながら種をまきしませんか?



音楽あり、みんなと一緒に、いのちの種を 豊かな土に蒔きましょう。

誰でもいつでも参加可能です。

私たちも自然の一部。草を分け、種を蒔きましょう!





詳細はこちら

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鎌倉山たねまき祭のおしらせ




鎌倉にも春が来ました。

4月10日、原発反対のデモが鎌倉でも行われますが、

その日の午前中から鎌倉山ナワールガーデンで種まき祭を行います!



デモに参加する前に、桜の木の下で、

土に触れ自然に感謝して希望の種をみんなで一緒に蒔いてみませんか?



多くのいのちを救いたいなら、まずあなたと私が生きよう。

野菜や花の種を蒔いて、これから一緒に育てよう。



畑で採れた野菜で、みんなでご飯を作って食べたり、

菜の花を摘んで食べたり、そして畑で音楽のライブで楽しみましょう。

鎌倉山の畑は放射能土壌検査をして、安全でした。



夜はたき火を囲みながら、一人じゃなくて、これからの鎌倉のこと、

未来のこと、みんなで一緒に楽しく語り合いましょう!



参加費無料、どなたでもどうぞ!





持ち物:軍手か手袋、汚れてもいい靴、持っていればカマかシャベル



日時:4月10日 10時半より、ゆるく開始   




初めてこられる方:10時に極楽寺集合でハイキングコースを上がります!



注意:駐車場がありません!できるだけバスか徒歩で来て。



お昼ごはんについて 



みんなで作って食べますが、たくさんないので、よかったら何か一緒に食べれるお弁当など持ってきてくれたら嬉しいです!



夜ごはんは、足りなかったらみんなで出し合って買い出しに行きましょう!




ライブ・ゲストが来てくれます!よかったら投げ銭で!



畑で歌いたい、演奏したい方、飛び入り参加大歓迎です!




その日の流れ

・種まきのお話 

ライブ 

種まきとはたけ仕事

ご飯作ってみんなで食べる。

午後、かまわ主催のデモに行く人はどうぞ

夕方

畑仕事終わり

夜は音楽と一緒にたき火を囲んでみんなで話そう!




参加にあたって申し込みは要りません。

時間も、都合のよいときから来て大丈夫。

(ただし車じゃなくてきてね)

大地につながって一緒に元気になりましょう!




アクセスは下記参照

鎌倉山ナワールガーデン

http://sites.google.com/site/nahualgarden/


============--




放射能のこと、震災で困っている人のこと、

いろんなことを考えて、不安になったり、さびしくなったり。



そんな時には、みんな一緒に土を触って、

いのちの世話をすると不思議と元気になります。

一人じゃなくて、一緒に種を蒔きましょう。一人で

の参加も、知らない人も、大丈夫。



一緒に楽しんで、

みんなで、花も虫も植物も、一緒に触って育てて生きていこう。

2011年3月10日木曜日

ここに至るまで、今。



初めて鎌倉山に来て、デイビットから、畑を引き継ぎ


ここを、ナワールガーデンとして、土をさわり、初めて種まきをしてから、


一年のサイクルが過ぎた。
ずっとここで、庭を観てた。
いのちを観て、育つのをみてた。



螺旋をひとめぐりして、また

春を迎えて、もう一度種をまく時に
なりました。



ひとつの種が土に宿り、芽を出し、花となり、実をつけ、分け与え、また種になり、枯れる。

ひとつの種が、また種に戻る。


種の形は同じ。だけど、つむいだ種には、いのちのプロセスがすべて詰まっていました。


太陽の周りを回る地球の上での、

風の記憶も、夏の太陽の光も、花咲く喜びも、雨の恵みも


虫や菌とのかかわりも、実になる充実も、


たくさんの他のいのちに、食べられる恍惚も。



ひとつの種の中に、走馬灯のようにすべての記憶が詰まってた!


私が生まれるずっと前から続く、このプロセスの意味を

以前は種を見ても、何も理解できなかったけれど、

一年たって、ナワールと共に、今見る種には、



その一つが内包する



ひとつの種に、充満するいのちの充実を
今は、手のひらの上に感じてる。




存在している記憶と時間は一方向には進んでおらず、



ひとつの種の中に、私までもが、すべて内包されている。





たくさんの他の生き物とのかかわりのいのちのプロセスと喜びが、



一つの種にすでに在った。
なんて深いものだったんだろう。





その種を、自分の手から、もう一度、蒔くときが来た。



=====================






私がこの庭に至るまで


そのプロセスも、すべてここに、このタイミングに繋がっている。

アラブ世界で、今、起きている、ネットワークから始まった革命は、
私の中で、15年たって、一巡りして、やっと繋がった。



「花を花として開かしむ」 時が来た。




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私がナワールガーデンに来たのは、
園芸が好きだからではなくて。


たぶん、今、この時を迎えるためだった。












いまアラブで起きていること。ツイッターやフェイスブックで流れてくる
中東からの、いのちの叫び。 どの人も共感する、強い沸き立つ情報。
人が心が動かされる、基本的な人権と自由の阻害を取り戻す、いのちの波。
ネットがやっとツールになって
今、世界中の人が感じてる。

人がこころ動かされることが、直接太いパイプとなって回路が増幅されて
強くて早い波になる。
単体の人々の叫びは、単語に文脈ができるように、意味を持っていく。

大きなテレビ局やメディアがマスに流す情報は
だれかの、脚色がなされ、同じことを考えさせる思考への暴力になる。

でも、今度の情報の流れは、もっともっと、有機的で
誰かが統制を取っている情報ではなく、
アメーバーである粘菌が、迷路の中で一番早く最適なゴールに到達するように
いま、中東の世界から始まった革命は、世界中に広がってる。


10年前、911が起きたとき、
私はネットの世界の仕事に没頭していた。
CGとネットで、世界が変わるとまだ思っていた。

でも、世界の中で、その時点でパソコンを持つ少数の人数が繋がったとしても、
何も世界が変わりはしなかった。

それよりも、グローバリゼーションの中で、私が
安い賃金で搾取された穀物からできた、輸入された食品を食べていることは、
すでに、問題の一部に加担していた。私の体は、彼らの搾取の上で作られていた。
そんな私が、アフガニスタンで人が殺されていることに 抗議したとしても、
私はすでに加害者だった。
奢れるものだった。

殺すなという911に反対するデモに参加しても、
どこか上滑りで、
とにかく、まず、自給して、この搾取の輪から外れないと
何も自分はなにも、社会を変革しようと思ったり、人の自由を回復するために
誰かに、意見することはできないと思った。

それでパーマカルチャーを学びに行った。
この10年、仕事をしながら、どうやったら自給できるのか
そしてそれはすごく難しいことで、全然できることではなかった。

日々の糧を得る仕事を週の半分にして、
この一年、残りの半分をナワールの庭で植物を育てることで
今は、ここだけに生活すれば、主食以外の8割は自給できる。

世界に広がる革命は、日本に住む私たちに、きっと不安と混乱と
これから先の生活の不便をもたらすだろう。
だけど、
今の快適さは、誰かのつらい労働の上に成り立った、便利さだった。

だけど、もう一度、取り戻すこと。
土に触ること、そして、いのちを育てることは、そしてそれで自分や
周りの人を養い、お互いが分け与えあい、
お金に換えることなく交歓しあい循環することは、
この一年、それは私のいのちの喜びに繋がる大切な宝物だった。

先送りすることのない、いのちの充足感はこのなかにあった。


なにも恐れることはなくて、パニックになるときもあるだろうけれど、
それはかつてあった、いのちに、土につながり、戻るだけ。
なにも、怖いことはないよ。そして
うまく行けば、それは、きっとあなたの喜びになるよ。


これから先、世界が変わる恐怖を感じるのではなくて、
いのちを充満させる、よろこびを手にする方法を
理解する場に、まだまだ問題は抱えていても、ナワールガーデンがなるように
言葉ではなくて、感じるように。
庭を整備して、一緒に、食べ物を植えよう。

そしてもうすぐ、世界が変わる。

すでに、 ひとつの種の中にすべてが在ったのだから。

その種を蒔くときが、いまから始まった。
やっと、今、このときのために。

2011年2月25日金曜日

竹ドーム



今年の春からの畑のために、
先週からみんなで竹のビニールハウスを作っています。

マイケルが、図面を用意してくれて、
切り出した竹を割り、組み立てています。




場所を整理して、この中を温室に。

できがあったら、今年の種まきの準備に取りかかります。


途中経過はこんな感じ。

また週末に、作業します!

2011年2月18日金曜日

満月

月の暦、最初の満月。
とても大きくて、綺麗。
春一番の風のあと、
バーレーンで人が今殺されている。

こんなとき、わたしはどうしらいい?

祈るだけ。
祈るだけ。
遠く離れた国で、解放のために
わたしやあなたと、
同じ命が殺されてつぶされていってる。

わたしにできること、
とにかく、満月のときに、あした種をまこう。
明日、今年初めての、種まきを。
畑に最初に植えるじゃがいもを。


+++


昨日は湘南は嵐。乱れた心と風は一体化して、
満月の今日、仕事に来ていた東京でも、

春の風が吹いた。
心がざわめく。いまも殺されている。
そして、今、わたしには、本当に、どうしようもない。

とにかく、早くナワールの庭に戻り、明日は畑をしよう。

世界の裏側で
とても激しい、春の風が吹いている。
多くの人が沸き立ち、殺されて
内側から花開く、解放と歓喜と熱狂のなか、
血が流れ、いのちが踏み荒らされている。

地球の裏側で、今動いている革命を
わたしは見守ることしかできなくて、
どんなに心が乱れても、
わたしはできることがない。
できることが私には、種をまくことしか、
それしかない。

どうしようもないくらい、ナワール庭の中に
静かな春の風が吹く。


数日前、
周りの同志と仲間が次々に殺される、リアルな夢を見た。

自分が革命のために立ち上がる夢で、
仲間が殺されるたびに
恐怖で起きてまた眠ると、
その夢の続きになる。
2回目、目が覚めて、3回目に眠るとまた同じ夢が続く。
最後は、自分が首をおとされて半分に割られたところで
恐怖の中、目が覚めて、
朝になっていた。

今度の私の命は、
革命のために死なないし、そのために大好きな仲間を死なせは
しないと、目が覚めて思った。

とても、とても、へなちょこな
独りよがりな。
仕方ない。そう思ったのはわたし。
でも、いまバーレーンにいたら、
絶対死んでも、参加している当事者でありたいし
いのちを死なせたくはない。


でも、朝、強くおもった。
逃げることじゃなくて、次に生まれるときには
やっぱり、このやり方じゃなくて、
違うやり方、考えたいと。
本当に泣けるぐらい、強く思った。

この前の「私」が
自分が死ぬ前に見た夢はなんだったか?
革命のために、命を落とすことの不毛さに辟易したのではなかったか?

自分がいましていること。
鳥小屋を作ったり、種をまいたり、残飯から肥料を作ったり
山菜を採ったり、料理をしたり、一緒に食べたり、人と話したり。

このことに何の意味があるのか?
こんな、のんきすぎる日常は
革命には、本当に、値しないけれど。
今度のわたしの生き方には、やっぱり、どうしても
それをするのは、意味がある。
他にすること、思いつかない。

***

満月の今日は、今年始まりを考える日。
今年の私が生み出せるいのちの作付を考える日。
その意味を、問い直す日。
そして春一番が、心の中に。
どうしようもないいのちがつぶされる風が吹く。

自発的な花開く革命は
手段を選ばない。

こんなときに、
地球の裏側で
わたしは、のんびりと、しすぎたいのちの営みを
一年間の野菜の作付や、鳥の飼い方を
かんがえることに、なんの意味があるのか?

他にできることも、あるだろうに。
いま、助けられなくて、本当にごめんなさい。

***


私の作ったものを自分が食べること
みんなで作ったものをみんなで食べること
周りの植物も動物も、いっしょに分け合うこと
とりあえず、それしかわたしには、今できない。

今回は死ぬときに
何を思うか?
思いたいか。


まえの「私」が
解放ためにいのちを落とさせてしまったことの反省は

もういちど、たくさんのいのちをつくって、
いのちの関係性を複雑にし、はぐぐむことで
償いたい。

その春の風は、わたしの心の中に。


でもずっと
離れた所から
いま、この瞬間も、中東で大切な自分のいのちを賭けて
いまこのときに、解放を求めている人たちを見つめて
祈り、そして明日畑にいこう。


願うことは違わないと。
そう、信じて。
それしか。

おなじ満月の下で。
わたしにできることは、
それしか。

twitter
バーレーンで叫ぶ人の声を見ながら、
あした、今年初めて、
ジャガイモを畑にうえよう。
こんなことしか出来なくて。
本当に、ごめん。

2011年2月16日水曜日

作業!

雪が降ったりやんだり。積もった雪の間から、
毎日たくさんのふきのとう。
少し苦くて、又一年、春が来たと実感します。

てんぷらにしたり、ふき味噌にしたり。


晴れた週末、段々畑と、鳥小屋を作りました。

けいこさんとりゅうへいくん

一番日当たりの良い斜面の

笹を刈って、竹を切って裂いて、段々の畑ができました。

家の前の方は、これからくるチャボのために大工仕事

土台を平らにして、1坪の家を建てていきました

廃材を使って出来上がり


綺麗な夕日でした。

昨日は又雪が降って、

そんなときは一日休み。

雪の中で外で火を焚いたら

雪に反射して、白く光って綺麗でした。

朝になって雪が解けて

翌朝は、堆肥を作るのに、

昨日燃やした灰は、米ぬかと一緒に

土を掘り、埋めて、春の野菜のために

いい土になってくれるように。

もう一度、すべてが回って

すべてか必要な、関係を取り戻せるように。

2011年2月12日土曜日

雪の日 

雪が降って一夜明けた。
あさ、凍った畑にルッコラをとりにいった。



昨日は昼から雪が積もって、
窓ガラスを磨いて
部屋の中から、外を見てた。





一日ここから出れない。
雪が降って、日が暮れていく空は、日が沈んでも、
世界が白く光って、墨色の世界になっていった。

散歩へ。
庭と、森の中へ、一緒に出かけた。






竹のアーチが雪の重みで重なって、
小さな部屋になった。

ハンモックに腰掛けて上を見上げると
墨色の空に広がる白い枝が
重なって、網の目に。
こちらに握手してくる雪の手。

白くて、重力のない、大きい世界が、こちらに招待してくれる。


森へ一緒に歩く。

人のルールがない世界へ。

自分の大きさが小さくなったり、大きくなったり。
黒と白の間のたくさんの色だけの
雪が降る森の中。

森のルールに従って、
私は小さくなる。
あなたのルールは
荘厳で大きくて、
つつまれて。

確実に正しいルール。

でも心もとない。とてもとても大きすぎるから

森を歩いて、
そして
人の世界に
この家に戻ってきた。




気がついたことがたくさん。
戻ってきたから。

暖かい明かり。
人と人







ここに、もう一度
暖まるために
戻ってきた。

フリードリッヒの絵の、孤独で静寂な森の世界から
どこにでも存在している荘厳な世界から。

家に、そして
人のルールに。


雪の森から持ち帰ったものは、
そのルールを
私のルールにすること。
人のルールと
あのルールを近づけること。

そしてすべてのルールをなくすこと。



もう一度。

2011年2月3日木曜日

月の始まり 月の終わり

節分と新月
月のサイクルの一年の終わりの日
太陽が沈んで
光が落ちる


今日から 新年。
雑草も、野菜も、今日からまた、はじまり。





庭はまだ冬だけれど、
誘うような水仙の香り
どこまでも どこまでも
植物は、昆虫と、動物と、種を越えて
私にまで交歓する
美しい香り


紫えんどうの花
小さくて、細かく振動するはなびら

春は来てる

冬は光がとおる
ある一時、植物はいのちの眠りを
庭はいのちをやすんで、
今日からまたはじまった。
静かな眠りから覚めて
冬の光は、透き通る。
一年の太陽のはじまりと月の始まりの間の
元旦から 月の元旦まで
冬の空の光と繋がる
瞑想のとき
朝も夜も昼も




これからはプラクティカルに
堆肥を作り春の準備を

やっと、らせんが戻った

畑へ
庭へ
土へ
光へ
いのちへと

2011年1月17日月曜日

何にもしなくても、春が来る。




椿の先の、海の奥には、半島と、大島。冬の海は夕方になると
金色に輝く。

冬野菜。はくさい、たかな、ブロッコリー。

このところ、全然雨が降らなくて、でも元気。


ちいさなレモンの木。
豆を秋に、そこらじゅうに播いた。

南向きのブロックの蓄熱が一番いい場所に、ソラマメを。

スナップエンドウや、紫はな豆、赤エンドウ。冬を越えて

春には豆の花が咲く空へ延びるアーチを

春を思いながら、連なる畝に豆を播いた。



紫キャベツ、からし菜、葉物の野菜。

そのままちぎって、食べてもすごくおいしい。




水仙の花が、わき道に。

とてもいい香り。ここで咲く花の中で、きんもくせいの次に香りがする。

甘い蜜のような透明な、香り。

キャベツと赤エンドウ豆

ふきのとうも芽を出し始めた。

いくつか摘んで、シンプルなふきのとうパスタに。香りが強くていつまでも

余韻が残ってた。これからはずっとふきとなつみかん。

冬の海は、静かで、午後になると光が変わる。

収穫の帰り、脇道にはもう春が来ていて


今年初めての、ボリジの花。はっぱはてんぷらに。

ふきのとうと、つばきのつぼみ、ゆきのしたも一緒に。

イチゴの花が咲いていた




西洋菜の花。そのまま花をかじる。あまくて、すこし辛みがあって、複雑でほんとうに深い味。


さっとゆでで、お醤油をかけて。

夏ミカンのサラダ。とってきた野菜で


今は、農閑期で、
お正月、本当にみんなで遊んで、
やっといま、今年の春から
どうするかみんなと、考えてる。

野菜を育てて、世話をして、みんなで一緒に食べて、
鳥を飼って、さかなをつって、田んぼでコメを作って
ハーブを育てて、薬を作って、
体を癒して、布を染め、火を焚き、海で遊び
森を歩いて、山菜を探して、探検に行く。そして
そして、この場所に繋がりながら、空を飛ぶ。

今年の計画を、まだ寒くて、静かな、海を見ながら考える。



みんなでシェアできるように。
このいのちの時間を。
そのための計画を。