2011年3月10日木曜日

ここに至るまで、今。



初めて鎌倉山に来て、デイビットから、畑を引き継ぎ


ここを、ナワールガーデンとして、土をさわり、初めて種まきをしてから、


一年のサイクルが過ぎた。
ずっとここで、庭を観てた。
いのちを観て、育つのをみてた。



螺旋をひとめぐりして、また

春を迎えて、もう一度種をまく時に
なりました。



ひとつの種が土に宿り、芽を出し、花となり、実をつけ、分け与え、また種になり、枯れる。

ひとつの種が、また種に戻る。


種の形は同じ。だけど、つむいだ種には、いのちのプロセスがすべて詰まっていました。


太陽の周りを回る地球の上での、

風の記憶も、夏の太陽の光も、花咲く喜びも、雨の恵みも


虫や菌とのかかわりも、実になる充実も、


たくさんの他のいのちに、食べられる恍惚も。



ひとつの種の中に、走馬灯のようにすべての記憶が詰まってた!


私が生まれるずっと前から続く、このプロセスの意味を

以前は種を見ても、何も理解できなかったけれど、

一年たって、ナワールと共に、今見る種には、



その一つが内包する



ひとつの種に、充満するいのちの充実を
今は、手のひらの上に感じてる。




存在している記憶と時間は一方向には進んでおらず、



ひとつの種の中に、私までもが、すべて内包されている。





たくさんの他の生き物とのかかわりのいのちのプロセスと喜びが、



一つの種にすでに在った。
なんて深いものだったんだろう。





その種を、自分の手から、もう一度、蒔くときが来た。



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私がこの庭に至るまで


そのプロセスも、すべてここに、このタイミングに繋がっている。

アラブ世界で、今、起きている、ネットワークから始まった革命は、
私の中で、15年たって、一巡りして、やっと繋がった。



「花を花として開かしむ」 時が来た。




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私がナワールガーデンに来たのは、
園芸が好きだからではなくて。


たぶん、今、この時を迎えるためだった。












いまアラブで起きていること。ツイッターやフェイスブックで流れてくる
中東からの、いのちの叫び。 どの人も共感する、強い沸き立つ情報。
人が心が動かされる、基本的な人権と自由の阻害を取り戻す、いのちの波。
ネットがやっとツールになって
今、世界中の人が感じてる。

人がこころ動かされることが、直接太いパイプとなって回路が増幅されて
強くて早い波になる。
単体の人々の叫びは、単語に文脈ができるように、意味を持っていく。

大きなテレビ局やメディアがマスに流す情報は
だれかの、脚色がなされ、同じことを考えさせる思考への暴力になる。

でも、今度の情報の流れは、もっともっと、有機的で
誰かが統制を取っている情報ではなく、
アメーバーである粘菌が、迷路の中で一番早く最適なゴールに到達するように
いま、中東の世界から始まった革命は、世界中に広がってる。


10年前、911が起きたとき、
私はネットの世界の仕事に没頭していた。
CGとネットで、世界が変わるとまだ思っていた。

でも、世界の中で、その時点でパソコンを持つ少数の人数が繋がったとしても、
何も世界が変わりはしなかった。

それよりも、グローバリゼーションの中で、私が
安い賃金で搾取された穀物からできた、輸入された食品を食べていることは、
すでに、問題の一部に加担していた。私の体は、彼らの搾取の上で作られていた。
そんな私が、アフガニスタンで人が殺されていることに 抗議したとしても、
私はすでに加害者だった。
奢れるものだった。

殺すなという911に反対するデモに参加しても、
どこか上滑りで、
とにかく、まず、自給して、この搾取の輪から外れないと
何も自分はなにも、社会を変革しようと思ったり、人の自由を回復するために
誰かに、意見することはできないと思った。

それでパーマカルチャーを学びに行った。
この10年、仕事をしながら、どうやったら自給できるのか
そしてそれはすごく難しいことで、全然できることではなかった。

日々の糧を得る仕事を週の半分にして、
この一年、残りの半分をナワールの庭で植物を育てることで
今は、ここだけに生活すれば、主食以外の8割は自給できる。

世界に広がる革命は、日本に住む私たちに、きっと不安と混乱と
これから先の生活の不便をもたらすだろう。
だけど、
今の快適さは、誰かのつらい労働の上に成り立った、便利さだった。

だけど、もう一度、取り戻すこと。
土に触ること、そして、いのちを育てることは、そしてそれで自分や
周りの人を養い、お互いが分け与えあい、
お金に換えることなく交歓しあい循環することは、
この一年、それは私のいのちの喜びに繋がる大切な宝物だった。

先送りすることのない、いのちの充足感はこのなかにあった。


なにも恐れることはなくて、パニックになるときもあるだろうけれど、
それはかつてあった、いのちに、土につながり、戻るだけ。
なにも、怖いことはないよ。そして
うまく行けば、それは、きっとあなたの喜びになるよ。


これから先、世界が変わる恐怖を感じるのではなくて、
いのちを充満させる、よろこびを手にする方法を
理解する場に、まだまだ問題は抱えていても、ナワールガーデンがなるように
言葉ではなくて、感じるように。
庭を整備して、一緒に、食べ物を植えよう。

そしてもうすぐ、世界が変わる。

すでに、 ひとつの種の中にすべてが在ったのだから。

その種を蒔くときが、いまから始まった。
やっと、今、このときのために。