2011年7月5日火曜日

それでも私達は生きていかなくてはいけない

原発事故の後

鎌倉山に住む私、そしてみんなが変化していった。

それは意識の変化、なんてものじゃない。

本当に、生活の変化。

いったい、どのくらいの汚染が、

私達の上に降り注いでいるのか。









とにかく生き延びなければならない。



それが、たいした影響ではないにしても


放射能が降り注ぐといわれる空の下


私やあなたや子供が口にする食べ物を



いのちを慈しみながら、交歓し合い育てることができるのか?







数ヵ月後に収穫を迎える、食べられる植物の世話を

するべきなのか、本当に迷った。







私の施した影響が


数ヵ月後のその草に現れる。

いま手を動かし、草に施していることは


今のことじゃない、先の育ついのちの

数ヵ月後に食べる私につながっている。


今は先を含んでいる営み。


今食べたものは空間と時間の関係性の中で




土や水や空気を汚せば、私も、
先の私も、私の家族も友も
みんな汚れる。




植物がいのち絶える時間のサイクルは


循環している。

先を思うことと、今を思うことは


一つの命の中に内在している。




いのちのはじめから最後のプロセスの間に

複雑に他の生物や微生物が


織物のように重なっている。


いま降り注いでいる放射能といういのちに対する冒涜は


必ず、織物に不自然なずれを生じさせるだろう。




それでも私達は生きていかなくてはならない。





鎌倉に戻り
ナワールガーデンのひまわりは大きく育っている。
もう、私の背を超えて。
来月には、大輪の花が咲くだろう。



いのちの祝いに 8月7日

友達と集まって、小さなお祭りしたいと思う。


まだ生きていくために。

未来の時間をくださいと

ここが、願う場所であるために。

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