2011年2月18日金曜日

満月

月の暦、最初の満月。
とても大きくて、綺麗。
春一番の風のあと、
バーレーンで人が今殺されている。

こんなとき、わたしはどうしらいい?

祈るだけ。
祈るだけ。
遠く離れた国で、解放のために
わたしやあなたと、
同じ命が殺されてつぶされていってる。

わたしにできること、
とにかく、満月のときに、あした種をまこう。
明日、今年初めての、種まきを。
畑に最初に植えるじゃがいもを。


+++


昨日は湘南は嵐。乱れた心と風は一体化して、
満月の今日、仕事に来ていた東京でも、

春の風が吹いた。
心がざわめく。いまも殺されている。
そして、今、わたしには、本当に、どうしようもない。

とにかく、早くナワールの庭に戻り、明日は畑をしよう。

世界の裏側で
とても激しい、春の風が吹いている。
多くの人が沸き立ち、殺されて
内側から花開く、解放と歓喜と熱狂のなか、
血が流れ、いのちが踏み荒らされている。

地球の裏側で、今動いている革命を
わたしは見守ることしかできなくて、
どんなに心が乱れても、
わたしはできることがない。
できることが私には、種をまくことしか、
それしかない。

どうしようもないくらい、ナワール庭の中に
静かな春の風が吹く。


数日前、
周りの同志と仲間が次々に殺される、リアルな夢を見た。

自分が革命のために立ち上がる夢で、
仲間が殺されるたびに
恐怖で起きてまた眠ると、
その夢の続きになる。
2回目、目が覚めて、3回目に眠るとまた同じ夢が続く。
最後は、自分が首をおとされて半分に割られたところで
恐怖の中、目が覚めて、
朝になっていた。

今度の私の命は、
革命のために死なないし、そのために大好きな仲間を死なせは
しないと、目が覚めて思った。

とても、とても、へなちょこな
独りよがりな。
仕方ない。そう思ったのはわたし。
でも、いまバーレーンにいたら、
絶対死んでも、参加している当事者でありたいし
いのちを死なせたくはない。


でも、朝、強くおもった。
逃げることじゃなくて、次に生まれるときには
やっぱり、このやり方じゃなくて、
違うやり方、考えたいと。
本当に泣けるぐらい、強く思った。

この前の「私」が
自分が死ぬ前に見た夢はなんだったか?
革命のために、命を落とすことの不毛さに辟易したのではなかったか?

自分がいましていること。
鳥小屋を作ったり、種をまいたり、残飯から肥料を作ったり
山菜を採ったり、料理をしたり、一緒に食べたり、人と話したり。

このことに何の意味があるのか?
こんな、のんきすぎる日常は
革命には、本当に、値しないけれど。
今度のわたしの生き方には、やっぱり、どうしても
それをするのは、意味がある。
他にすること、思いつかない。

***

満月の今日は、今年始まりを考える日。
今年の私が生み出せるいのちの作付を考える日。
その意味を、問い直す日。
そして春一番が、心の中に。
どうしようもないいのちがつぶされる風が吹く。

自発的な花開く革命は
手段を選ばない。

こんなときに、
地球の裏側で
わたしは、のんびりと、しすぎたいのちの営みを
一年間の野菜の作付や、鳥の飼い方を
かんがえることに、なんの意味があるのか?

他にできることも、あるだろうに。
いま、助けられなくて、本当にごめんなさい。

***


私の作ったものを自分が食べること
みんなで作ったものをみんなで食べること
周りの植物も動物も、いっしょに分け合うこと
とりあえず、それしかわたしには、今できない。

今回は死ぬときに
何を思うか?
思いたいか。


まえの「私」が
解放ためにいのちを落とさせてしまったことの反省は

もういちど、たくさんのいのちをつくって、
いのちの関係性を複雑にし、はぐぐむことで
償いたい。

その春の風は、わたしの心の中に。


でもずっと
離れた所から
いま、この瞬間も、中東で大切な自分のいのちを賭けて
いまこのときに、解放を求めている人たちを見つめて
祈り、そして明日畑にいこう。


願うことは違わないと。
そう、信じて。
それしか。

おなじ満月の下で。
わたしにできることは、
それしか。

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バーレーンで叫ぶ人の声を見ながら、
あした、今年初めて、
ジャガイモを畑にうえよう。
こんなことしか出来なくて。
本当に、ごめん。

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