2010年8月9日月曜日

旅のこと

タオスプエブロのパウワウというお祭りに行きました。



アルバカーキから車でサンタフェの北、2時間ほどのところ。
タオスは、インディアンの部族の中でのもっとも北に位置しています。

パウワウのお祭りは、タオスプエブロのほかにも、
いくつかの部族が、3日間ダンスを競うお祭りで





大きなドラムを、数人で囲み、歌いながら奏でるリズムに合わせて、
渦になって、美しい飾りに身をまとい、踊り続けます。


抑揚のある、繰り返しのリズム。
渦を巻く円をたどる踊り。砂漠に照りつける太陽と土ぼこり。

モカシンの靴がいのちの抑揚を。

フリンジのついたストールが、空へと舞い上がり
雲と風のような踊りが続く。




さまざまな鳥のようダンス。
体にまとわう鈴が、大地を蹴るたびに振動する。

ドラムと、歌声とそして歓声。

いつか聞いた彼らの歌、その震えるリズムは
今か、昔か、そのはるか以前か
以前に必ず、立ち会ったことのある記憶に
私をつなげてくれた。


踊る喜びと、人と大地と自然ととともにある
存在とともに。



タオスまでの道のりは、乾燥した大地
植物の少ないこの地でも
今の季節、ホワイトセージが一面に広がっていた。

空の青と、雲、大地の赤、そしてセージの緑。
それだけの色。
砂漠に近い、気候には、それに適応するいのちが生息するけれど
日本のような、湿潤で豊饒な命の森に比べて

私の、いのちが、
外にさらされている。

「それ」
とのつながりのちがい。

豊潤ないのちの中にいる森と
いのちの少ない砂漠と。

この土地は、
ウランがとれることで、
今でも原子力の研究所や、冷戦時代から
スターウォーズ計画の、人を殺しあうための装置を
研究開発するための施設が作られている。

インディアンが昔から
自然に畏怖を持ち、たたえ、寄り添い、
頼ってきた大地は、
奪われて、土地を掘り起こし、
人を殺していくための装置を作るためのものへ
搾取する「国」によって変換されていく。

それでも太陽は注ぎ、
人は生き、彼らの伝統を伝え、
タオスプエブロは外部に開かれてないように、
守っていく。

ここでは、より貴重な
自分の血、汗、そして、セージの香り。



タオスインディアンの居住地は、今では世界遺産に登録されていて
国が決めた居留地として、
電気、ガス、水道のない暮らしを、この居留地では続けている。






聖なる川の流れで、この砂漠地帯に緑が茂り、
この川の源のブルーレイクから、
私たちが生まれ、そして死んでいくとそこに帰ると
タオスプエブロの人とは信じてる。

いまでは、観光客が訪れる場所になってしまったけれど、
タオスプエブロは、あまり外に心を開くことなく、
彼らの伝統を
外部に開かず
守り続けている。

この旅では
浅葉先生と一緒に子供たちと旅をすることで
タオスプエブロの長老と、娘である、マリーレーナさんとの
素晴らしい出会いがあった。

パウワウのお祭りに、
チベット仏教の、ラマ僧がダラムサラからここへきて
砂曼荼羅を奉納した。
その曼荼羅を、最後に、聖なる川に祈りとともに流した。

その川のほとりで、
マリーレーナさんが浅葉先生と子供たち、
女性だけの私たちを、もてなしてくれた。

火を囲み、彼らと共に食べ笑った。

彼女が私たちに、
チベットの僧とも話したが、私たちは
地球の反対側にいるけれど、同じだとわかる。

日本の学者が、私たちと日本人のDNAのパターンが
同じだと言ったけれど、そんなことを言わなくても

私たちは同じだと、わかる。

この場所はふるさと。
私たちはつながっていて
大地とこの地球とつながっている。
そしてともに、ここにいる。

私のいのちが絶えたとしても、
タオスプエブロの伝統と、子供たちとのきずなは
離れることはないし、この交流は変わることはない

満天の星空の下、子供たちと一緒に
みんなの心がつながって、ひとつになりました。




どこまでも広がる草原と
その先には、聖なる山。
午後の陽ざしのなかで、聖なる川で水浴びをして、
見上げた空。



ここに来たかったのは、
DHロレンスがタオスに農場を作り、移住したから。
二十歳のころから、いつか、タオスに行きたいと思っていた。

それは私にとって、
本当のパラダイスで
自然とつながる近寄りがたい場所だった。

ロレンスは誤解されていると思うけれど、
産業革命以後の、19世紀初頭のイギリスから
近代文明を批判し、自分、そしていのちの
人間本来の姿を美しいものとして表現していった。

パラダイスとしてこの地にひかれたことを
タオスで彼の描いた油絵を見て、思った。


時期は違うけれど、
ジョージアオキーフも、
サンタフェ近くに移り住んで、
よく、ロレンスのランチを訪れていた。







サンタフェでオキーフの美術館に行ったときに、
オキーフの晩年の、雲の絵を見た。
雲の、その先にあるものを







子供たちと一緒に、
サンタフェの民俗博物館に、
インディアンの歴史を見に行った。

その時に、ウイチョール族の特別展が開かれていて
アーティストである、シャーマンの親子と話しをした。

彼らの絵は美しい色の毛糸や、ビーズを使って、
儀式や大切なことを絵や工芸品にして表現している。

シャーマンの父とその息子である、彼と話をした。
彼はすでに絵を描くが、シャーマンになるには、
まだ早く、自分の準備ができたときに、
4週間の修業を経て、シャーマンになると教えてくれた。

シャーマンは、心の目を持っていて、
患者の、体の悪いところを見ることができる。
ともにジャーニーに連れて行って、そこから戻ってくることで、
悪いところの本当の理由を理解し、
そして、その人に必要な、薬草を、花だったりレイシのような
きのこなどをつかって、直していく。

儀式には、ペヨーテを使うが、それは興味本位で
扱われるものではなく、自然とつながるためのものだ。
人は生まれてから、お金や経済や教育によって、
50%ほどしか本当の世界を見ることができななくなっている。
でも儀式をおこなうことによって、100%本物の世界を
見ることができる。

彼はまだシャーマンにはなっていないけれど、
ジャーニーをすることは11歳のときからはじめて
シャーマンであるというのは、その旅に人を誘い、
ナビゲートし、ともにこちらに帰ってきて、本来の癒しを
行うことにある。
いつか近いうちにその4週間の修業をするという。

その儀式に見たビジョンが
ウイチョールの絵に託されていた。







タオスの
聖なる川に、太陽が降り注ぐ。
そして私たちの上にも。

鎌倉に戻ってきて、
やっと仕事もひと段落して、
今日から、ナワールガーデンの世話に戻ります。












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