2010年9月12日日曜日

昨日、一昨日


有機農法の勉強を、静岡に習いに行っていて、
昨日は、その1年間の終了の日。
畑作業を終えてから静岡から湘南に戻った。

茅ヶ崎あたり、海の近くで
車の中から空の色がピンクに変わった。


あわてて車を止めて
歩道橋の上に登って、
振りかえり、

富士山を見た。


どこかの世界が
富士山にはあって

それは黄泉というか、なんというのか。

この世の、空間的な空と富士山が
いつも流れる時空を越えて

どこかのよその世界になる瞬間が
夕方、朝方
昼と夜の境目に
突然現れることがある。

私だけにじゃなくて、
そこに立ち会った、
それを見た
すべての人とともに。


そこは、登山する富士山ではなくて
そこは、毎日見上げている、昼の空、
夜の空ではなくて。

違う世界が、
一緒に空を見つめる横に並ぶ人々の目の前に
現実の
あの方向にある。

あの方向にある。


ナワールガーデンには
海と富士山がある。
ナワールガーデンには、ともにある人と
あの方向にであえる「とき」がある。
私や畑を世話する人にとっては、
「あの方向」が
現実として食べれるいのちに変わる。

あの方向の、あのいのちを
リアルに食べる。
いのちに触る。

富士山の空のなかに、
毎日溶け込める幸せは
愛以上の何ものか。

毎日、海の色とそこに泡立つ波は変わり、

毎日死んでは生まれる植物と
毎日入れ替わる、
訪れる人々との関係がある。



ウコンの花。
結晶化するいのちのきらめき。
その時に立ち会える幸せ。

わたしのいのちも。
ナワールガーデンに訪れて、いのちのせわをする
すべての人のいのちも。

この時に、この形で立ちあえる。

一昨日、見田宗介先生を囲む会が下北沢であって
そこで先生に会った。
先生を慕う、人々と一緒にお酒を飲んだ。

みんな花。
結晶化したいのち。

いつか、庭で一緒に
ナワールを食べよう。
一緒に海を眺めよう。


今日はこれから、キャベツを植えたり
ホウレンソウの種まきをしたりします。
プラクティカルに、
いのちの世話をする一日を。

今日の夕方には、
また富士山に出会えますように。

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