2011年8月17日水曜日

ナワールから旅 九州1 墓参り

ナワールガーデンから祭りを終わって旅に出て、

きょう、生まれて初めて、お盆に墓参りをしてきました。



311の震災後、お彼岸に、家族を連れて九州に行き

自分の祖先の墓に、生まれてはじめて、お参りした。

本当に生まれて初めて。
うちの母は、九州から家出して東京に出てきたのでした。


私は生まれたときから都会で育ち、

ずっと故郷というものを知らなかったけれど、

九州に戻ってきたら、時はとどまり、そこに生きている「死」がありました。

いったい、私は今まで、弔うことを忘れ
何を憂いてきたのでしょう?




  +  +  +



震災の後、たくさんのいのちの冒涜が起き

憂い、迷い、弔い喜ぶための祭りをして、

そしたら、軽く、世界が反転した。

都会に住まうことで、
自分はいままで、自分の祖先を弔うことを忘れ

祭ることの後にある、世界の反転を

実感することなしに、
重苦しく暮らしてきていた。


「それ」に
花を手向け、笑うこと。
ともに在る
根拠在る安堵


   +  +   +



人間はどのように滅びるのか、

そんなことを今、実際の、大方の人が思い憂うときになって

まるで、今は、世界が反転したようです。


美大生のころ、

「無限の経済成長」が人間に自由と開放をもたらすという

資本主義の只中で、空虚な生は、耐え難いものでした。

そのとき、奥野健男先生のゼミで
三島由紀夫の「美しい星」のことを聞いた。

その小説は、核兵器を持った人類が滅びようとしているときに、

宇宙人が人類の運命について話す物語でした。


人類は3つの罪があって、しかし

人類が滅びようとするときにも、

人間には美徳が5つあるので、

それに免じて助けてくれるかもしれないというくだりがありました。


そのときから、ずっといままで、その5つの美徳は

私の心の支えであった。 だけれど、志向性の中、

それをいままで、本当の意味で実感したことはなかったのです。

311の後、この小説が、強ち、現実味を帯びて思えるときになって、

はじめて実感して、5つの人の美徳の美しさが、
今はリアルに、喜びの中、感じられました。



確か、人類は3つの宿命的な病気によって、
滅びることになるのだけれど、
それは今の「無限の経済成長」の軸ともいえる
ものでした。

その一つは事物への関心であり、
もう一つは人間への関心であり、
もう一つは神への関心である。

と。

だけど、人には5つの美徳がある。


彼らは嘘をつきっぱなしについた。

彼らは吉凶につけて花を飾った。

彼らはよく小鳥を飼った。

彼らは約束の時間にしばしば遅れた。

そして彼らはよく笑った。

 
 ねがわくはとこしなえなる眠りの安らかならんことを


これらの5つの美徳のすべては
「無限の経済成長」の世界から、すり抜ける喜びのことだった。

お墓参りして思う。
祭りをして思う。

楽しいことは、今にしかない。


未来の人間を滅ぼすことができても、
どうして現在この瞬間の人間を滅ぼすことができようか?
あなた方が地上の全人類の肉体を滅ぼしても、
滅亡前のこの人間の時は、永久に残るだろう


手向けた花と、ひまわりが、もう枯れる。

そして、今を祭りに。



旅を続けて、

庭に戻るから。

2011年8月16日火曜日

答えを生きるということ



ナワールガーデンから離れて








福岡の糸島に来た。








家族と一緒に。




















この場で、一人の自然農を続けてきた








松尾靖子さんに出会った。





















靖子さんから畑を借りた。












はじめて稲作をはじめて、












答えを生きることを












ここで教わった。




















ナワールガーデンで生きることは








時の不慮をかさにきた








隠遁主義だったと思う。
























それは大切な、私の寄るべき己だったけれど








松尾さんの畑に立つということは、








まったく別の意味を持つ。




















この震災が起きた後、








ミランクンデラがいう、孤高の世界に








屹立するペニスである必要はない。












すでに物を作り出すことの欲望の








溶鉱炉は閉じようとしている世界に突入した。




















福岡、糸島に来て








松尾さんに出会って教わったことは












答えを生きることだった。
















いままで竹林の賢人を待ち望んでいたのではなかったか?












隠遁することに








無常の価値を見出していたのではないか?












志向性に逃げては、いなかったか?




この西の地では


リアルな生に


帰属して生きる



国と人がある。











ここで学ぶことは、



草の上に立ち




生きる糧になり、生きる根拠となり、いのちが充足するか否か



突きつけられ、素直に考えることが



奇跡のように、可能である豊かな大地だった。









精のような人と


その人が生み出しはぐぐむ大地があった。


出会ってしまってどうしよう。


松尾さんのことを、たくさんの人に伝えて、そして


ナワールに戻ります。



懐かしさと時を越えた、


大地とつながった人がいる円環する場所で。











ナワールガーデンに。

































2011年8月14日日曜日

ひまわり祭り、ありがとうございました










8月7日のひまわり祭り、たくさんの人に来ていただいて、
本当にありがとうございました。

心から、いいお祭りになりました。
手伝ってくれたみんなに、感謝しています!!


★手伝っていただいた皆様

ライブ/
元たまのちくさん、しびれキング、hochiさん

講義/
たいよう講の森野あつしさん、見田宗介先生

ストリーミング/くぼたさん

バーホーリーバジルカクテル/けいこさん、ひでくん

庭デザイン/けいこさん、生意気

フード/ 
  ファラフェルるんちゃん、ワンダーキッチンさん、パラダイスアレイこずちゃん
  ところてんのかおたん、ゆんちゃんデザート、東京エールさん

タイムキーパー&アナウンス/goくん

チラシ/平尾香

受付/はるちゃん、ゆりねえさん

車の手配/百年さん

ドネーション係り/きょうこちゃん

ライブペインティング/平尾香

畑のハーブ虫除けスプレーワークショップ/よしこちゃん

コンポストトイレ作り/アダム、フィル

本気根気狸/ドゥイ


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本当にありがとうございました。
みんなと一緒にできて、本当に楽しかったです。




写真、撮り忘れてしまったけど、120人以上の人が集まった。

しびれくんの歌も良かった。

ちくさんの歌に感動した。


自然エネルギーの話もみんなで聞くことができて、

自分たちが進む方向が、不可能じゃないし、できそうだと思えた。







子供たちもたくさん来てくれた。





どんな形でも、どんな風にでも



みんなが楽しんでいるのが、一番の願い












お祭りは、鎌倉山の神様が助けてくれた。

この場に来る

すべての人と生き物が、一瞬でも


心から楽しいと思えた。


そう、ナワールガーデンのひまわりに願う 。


喜びを生み出すために





物質的なモノはより少なく



いのちは豊かに





シンプルに生きていくことを。




見田先生に、ここでお話いただいて、


ありがとうございました。


9年前に、先生が蒔いてくれた言葉の種が、この庭で開きました。









お祭りが終わって、みなに感謝して、





私は、

旅に出ました。

1ヶ月半、旅をして、秋には、ナワールガーデンに戻ります。

まず、





春に福岡ではじめた、自然農の田んぼと畑に戻ります。

糸島でであった、自然農の先生である、松尾靖子さんから

たくさんの事を学んできます。



昨日、靖子さんに教わりました。





「いね」の語源は、いのちのねっこ、の意味だそうです。

一つ一つ植える米の苗を育てる作業は、





日本人の、いのちの情感を作る作業そのものでした。


水の中に手を突っ込んで、苗を植え


できた稲をつかんで、ざくっと、鎌で刈り取る


機械を入れない、手で育てる稲の田んぼは、なんと懐かしいのでしょう。


機械を使えば、これはつまらない「作業」になる。



海の民でなくとも、


直接活ける魚を殺生しながら生きる民でなくとも、


いのちの情につながる方法はある。


機械を使わず、鎌ひとつで、いのちに触ること。

稲と私が、同じ空気に触れること。 草とともに生きていることを感じ

照りつける太陽に汗をかき、そよぐ風に和むこと。


厳かで、和やかで、厳しく、ここに包まれるものが、





同じ苦境に、喜びに、そこにつながってあることの安心感は





どこにいても見える景色とともに、


いのち溶け合う海と同じく


懐かれ、情が生まれるいのちの大地でした。




つながって、ひとつのいのちであること。

そういったことを学ぶために、



少し離れるけれど、いろいろ学んで、今するべきことをして

またナワールガーデンに戻ります。

ひまわり祭り、


本当にありがとうございました。










2011年7月23日土曜日

庭に祭る、ひまわりの花



夏、鎌倉山の庭がひまわりでいっぱいになった。






朽ちた桃の蜜を吸いに



蝶が舞い降りる。




いのちに舞い降りたのは、


放射能の傷。








* * *







震災後から、毎日

現実といわれる世界を疑い


そして



共有した真実は、たったひとつ。




私たちは、まあるい、たった一つの星の表面に生きているということ。







閉じられた無限の球の中で



無限土に種を蒔く



生きることはあらゆるものと、結び結ばれ


関係をつづること。




この、放射能でさえも。






多くのいのちの結び目の中に



放射能が入り込み、いのちを踏み違え



生態系に「ほつれ」が生ずる






再生しようにも、時は永過ぎ


永遠とは何を指すのか、解らなくなった。



この、解れに、私たちは抗う。




そして花開け。




朽ちる桃に、舞い降りる蝶

まるで、汚泥に咲く、蓮のように


ひまわりがぽっかりとした、空を向くように。







ひまわり祭りの前に、


ナワールガーデンの

寄る辺なき、いのちに祭る


向日葵が


満開になって、しまいそう。


どうか、どうか



どうか、8月7日のひまわり祭りまで、咲いていて。






2011年7月12日火曜日

8月7日、鎌倉山ひまわり祭り開催!


原発事故から4ヶ月。
311の後、4月10日にこの庭でおこなった
「たねまき祭り」で
土壌から放射能を吸い上げてくれるという、ひまわりを
みんなで一緒に蒔きました。

そのひまわりが、梅雨明けと同時に
咲き始めました。

まだちらほら。

大輪の花が満開の8月7日、
このナワールの庭で、ひまわり祭りを行うことにしました。

この土地が安全で、
訪れる人が、共に、分け合って楽しく暮らせますように。

ここにくれば、素敵な音楽と、素敵な人々と、
すばらしいナワールの庭に
出会えます。
私達のからだにながれる同じ海の記憶。
太陽と、海と、植物と、音楽につながる一日を
共に過ごしましょう。


前の日の8月6日は、原発さよならパレードや
各地で大きなデモが行われます。

デモに参加した次の日は、ひまわりを眺めながら、
ゆっくり庭の草に癒されてください。



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鎌倉山ナワールガーデン ひまわり祭り2011

 8月7日(日曜日) 時間は11時ごろから日没ごろまで

海が見渡せる、鎌倉山の持続可能な自然農の畑と食べられる庭。
放射能を吸い取ってくれるひまわりを愛でながら、
原発のいらない、未来の楽しい生き方をみんなでみつけよう。

   於:鎌倉山ナワールガーデン
   キャンプインOK (虫よけや寝袋持参でね)
   参加費 一日500円 1ドリンク付き
   持ち寄り大歓迎!

+ライブ 
   「たま」の知久寿焼さん  http://www.officek.jp/chiku/
   アコースティックの最高ライブ
   (ライブ時間、料金等はのちほど)


+社会学者 見田宗介先生のおはなし(日暮れ時)
 見田 宗介(みた むねすけ、1937年生)先生は、日本の社会学者。東京大学名誉教授 。
 社会学修士。真木悠介の筆名を持ち、社会の存立構造論やコミューン主義による著作 活動によって広く知られる。


+ハーブ虫よけスプレーづくり
  ガーデンのハーブを使って、オーガニックの虫よけスプレーをつくります。
  作り方とハーブの効用がわかるよ。(材料費実費)
 
+オーガニックハーブバーにて、パラダイスアレイの特製、ひまわりパン販売!

+アート(庭アート)
 ドゥイのこどもの造形教室 午後1時より
 自然の中で子供たちのものづくり!庭で遊ぼう。
造形教室の申し込みは下記までどうぞ
http://duilab.com/honkikonkitanuki.html



駐車場がないので、アクセスをご覧になり、車は使わないでいらっしゃってください!

2011年7月5日火曜日

それでも私達は生きていかなくてはいけない

原発事故の後

鎌倉山に住む私、そしてみんなが変化していった。

それは意識の変化、なんてものじゃない。

本当に、生活の変化。

いったい、どのくらいの汚染が、

私達の上に降り注いでいるのか。









とにかく生き延びなければならない。



それが、たいした影響ではないにしても


放射能が降り注ぐといわれる空の下


私やあなたや子供が口にする食べ物を



いのちを慈しみながら、交歓し合い育てることができるのか?







数ヵ月後に収穫を迎える、食べられる植物の世話を

するべきなのか、本当に迷った。







私の施した影響が


数ヵ月後のその草に現れる。

いま手を動かし、草に施していることは


今のことじゃない、先の育ついのちの

数ヵ月後に食べる私につながっている。


今は先を含んでいる営み。


今食べたものは空間と時間の関係性の中で




土や水や空気を汚せば、私も、
先の私も、私の家族も友も
みんな汚れる。




植物がいのち絶える時間のサイクルは


循環している。

先を思うことと、今を思うことは


一つの命の中に内在している。




いのちのはじめから最後のプロセスの間に

複雑に他の生物や微生物が


織物のように重なっている。


いま降り注いでいる放射能といういのちに対する冒涜は


必ず、織物に不自然なずれを生じさせるだろう。




それでも私達は生きていかなくてはならない。





鎌倉に戻り
ナワールガーデンのひまわりは大きく育っている。
もう、私の背を超えて。
来月には、大輪の花が咲くだろう。



いのちの祝いに 8月7日

友達と集まって、小さなお祭りしたいと思う。


まだ生きていくために。

未来の時間をくださいと

ここが、願う場所であるために。

2011年4月26日火曜日

ヒマワリが芽を出した






鎌倉山に戻ってきた。














前の日に降った雨は嘘のように晴れて、日曜日は快晴で





海にはたくさんのヨット。





そして、やさしい海に、サーフィンする人たちもたくさん出ていた。






事故があったことが嘘のよう。畑にはたくさんの花が咲いている。






















前日の雨で竹の子も伸びて

















出たばかりのたけのこは、とても柔らかくておいしい。

いくつか掘って、みんなで食べた。








今は、昨年の秋に捲いたエンドウが








きれいな花を咲かせ、たくさんの豆がとれます。







そして、たねまき祭りで、

みんなで播いたひまわりの芽も、ちらほら出てきていました。

























多年草のエキナセアや、コンフリーもまた芽を出してる。







だけど、





私は今年の春、ここでもう一度、葉物と実がなる野菜の



種をまくのを止めることにしました。

だれも怖くて口にしないけれど、


原発が爆発し、放射能が飛び散る可能性が残っているから。


ひまわりを捲いて、多年草はそのまま残し、


影響が少ない、じゃがいもや、さつまいも、ヤーコンなどの


根野菜で、水が少なくても育つものだけを、


ひまわりの間で、育てようと思う。



ヒマワリが咲き、夏が終わる頃、


原発が終息し、放射性が収まるようなら、


秋に、もう一度、希望と一緒に、種をまこうと思う。



こんなに美しい庭に、


種を捲けないのは、悲しいけれど


捲いて育った苗が、


汚染されてしまう可能性がある今、


育てたものが、汚される悲しみの方がより大きいから。


だから、とにかく、ひまわりを、みんなで捲いた。






この日の夜、葉山で行われた田中優さんの講演会に出かけた。


新しい、自然エネルギーについての話を聞き、


それについての可能性を話し合った。



講演の最後、田中さんが、福島の有機農家の方の話をした。


原発が壊れ、放射能が降った次の日、


子供たちに、野菜を届けるのを楽しみにしていた


キャベツの有機農家の方が自殺をした。


つらくても、生きていける。だけど、


人が本当に失ってはいけないものは、希望だと。



だから、田中さんが進めているスマートグリットは


これからの人への希望になるようにと


話していた。



福島の有機農家の方には、選択肢はなかったのか?



彼が育てていたキャベツはアブラナ科で、もしかしたらそれを育てて

破棄すれば、土は洗浄できる可能性もある。


鎌倉山のこの土地も


アブラナ科の菜の花がたくさんの花が咲いていて、


このまま咲かせ続けて、自然のままに、種になり、

その種を、撒き散らせるように。

どうやったらいいのか、


毎日試行錯誤で、畑だけじゃなくて、


他にも伝えていかなくてはいけないことや、


今すべき仕事を、するしかない。






どんな状況でも、いのちは生きている。


切り株の間から、

たんぽぽの花が咲いた。


とにかく、いま、生きているのだから、できることを。



別の場所も探しながら、ここで私に、できることを



たとえ、すこし庭から離れても、しようと思う。