ナワールガーデンで、4月10日たねまき祭を行います。
原発反対デモに行かれない方。
午後から鎌倉のデモに行かれる方。
午前中は、太陽の光を浴びて、大地を触って、
桜の花の下、海を見ながら種をまきしませんか?
音楽あり、みんなと一緒に、いのちの種を 豊かな土に蒔きましょう。
誰でもいつでも参加可能です。
私たちも自然の一部。草を分け、種を蒔きましょう!
詳細はこちら
=======================
鎌倉山たねまき祭のおしらせ
鎌倉にも春が来ました。
4月10日、原発反対のデモが鎌倉でも行われますが、
その日の午前中から鎌倉山ナワールガーデンで種まき祭を行います!
デモに参加する前に、桜の木の下で、
土に触れ自然に感謝して希望の種をみんなで一緒に蒔いてみませんか?
多くのいのちを救いたいなら、まずあなたと私が生きよう。
野菜や花の種を蒔いて、これから一緒に育てよう。
畑で採れた野菜で、みんなでご飯を作って食べたり、
菜の花を摘んで食べたり、そして畑で音楽のライブで楽しみましょう。
鎌倉山の畑は放射能土壌検査をして、安全でした。
夜はたき火を囲みながら、一人じゃなくて、これからの鎌倉のこと、
未来のこと、みんなで一緒に楽しく語り合いましょう!
参加費無料、どなたでもどうぞ!
持ち物:軍手か手袋、汚れてもいい靴、持っていればカマかシャベル
日時:4月10日 10時半より、ゆるく開始
初めてこられる方:10時に極楽寺集合でハイキングコースを上がります!
注意:駐車場がありません!できるだけバスか徒歩で来て。
お昼ごはんについて
みんなで作って食べますが、たくさんないので、よかったら何か一緒に食べれるお弁当など持ってきてくれたら嬉しいです!
夜ごはんは、足りなかったらみんなで出し合って買い出しに行きましょう!
ライブ・ゲストが来てくれます!よかったら投げ銭で!
畑で歌いたい、演奏したい方、飛び入り参加大歓迎です!
その日の流れ
・種まきのお話
ライブ
種まきとはたけ仕事
ご飯作ってみんなで食べる。
午後、かまわ主催のデモに行く人はどうぞ
夕方
畑仕事終わり
夜は音楽と一緒にたき火を囲んでみんなで話そう!
参加にあたって申し込みは要りません。
時間も、都合のよいときから来て大丈夫。
(ただし車じゃなくてきてね)
大地につながって一緒に元気になりましょう!
アクセスは下記参照
鎌倉山ナワールガーデン
http://sites.google.com/site/nahualgarden/
============--
放射能のこと、震災で困っている人のこと、
いろんなことを考えて、不安になったり、さびしくなったり。
そんな時には、みんな一緒に土を触って、
いのちの世話をすると不思議と元気になります。
一人じゃなくて、一緒に種を蒔きましょう。一人で
の参加も、知らない人も、大丈夫。
一緒に楽しんで、
みんなで、花も虫も植物も、一緒に触って育てて生きていこう。
2011年3月10日木曜日
ここに至るまで、今。

初めて鎌倉山に来て、デイビットから、畑を引き継ぎ
ここを、ナワールガーデンとして、土をさわり、初めて種まきをしてから、
一年のサイクルが過ぎた。
ずっとここで、庭を観てた。
いのちを観て、育つのをみてた。
螺旋をひとめぐりして、また
春を迎えて、もう一度種をまく時に
なりました。
ひとつの種が土に宿り、芽を出し、花となり、実をつけ、分け与え、また種になり、枯れる。
ひとつの種が、また種に戻る。
種の形は同じ。だけど、つむいだ種には、いのちのプロセスがすべて詰まっていました。
太陽の周りを回る地球の上での、
風の記憶も、夏の太陽の光も、花咲く喜びも、雨の恵みも
虫や菌とのかかわりも、実になる充実も、
たくさんの他のいのちに、食べられる恍惚も。
ひとつの種の中に、走馬灯のようにすべての記憶が詰まってた!
私が生まれるずっと前から続く、このプロセスの意味を
以前は種を見ても、何も理解できなかったけれど、
一年たって、ナワールと共に、今見る種には、その一つが内包する
ひとつの種に、充満するいのちの充実を
今は、手のひらの上に感じてる。
存在している記憶と時間は一方向には進んでおらず、
ひとつの種の中に、私までもが、すべて内包されている。
たくさんの他の生き物とのかかわりのいのちのプロセスと喜びが、
一つの種にすでに在った。
なんて深いものだったんだろう。
その種を、自分の手から、もう一度、蒔くときが来た。
=====================
私がこの庭に至るまで
そのプロセスも、すべてここに、このタイミングに繋がっている。
アラブ世界で、今、起きている、ネットワークから始まった革命は、
私の中で、15年たって、一巡りして、やっと繋がった。
「花を花として開かしむ」 時が来た。
=======================
私がナワールガーデンに来たのは、
園芸が好きだからではなくて。
たぶん、今、この時を迎えるためだった。

いまアラブで起きていること。ツイッターやフェイスブックで流れてくる
中東からの、いのちの叫び。 どの人も共感する、強い沸き立つ情報。
人が心が動かされる、基本的な人権と自由の阻害を取り戻す、いのちの波。
ネットがやっとツールになって
今、世界中の人が感じてる。
人がこころ動かされることが、直接太いパイプとなって回路が増幅されて
強くて早い波になる。
単体の人々の叫びは、単語に文脈ができるように、意味を持っていく。
大きなテレビ局やメディアがマスに流す情報は
だれかの、脚色がなされ、同じことを考えさせる思考への暴力になる。
でも、今度の情報の流れは、もっともっと、有機的で
誰かが統制を取っている情報ではなく、
アメーバーである粘菌が、迷路の中で一番早く最適なゴールに到達するように
いま、中東の世界から始まった革命は、世界中に広がってる。
10年前、911が起きたとき、
私はネットの世界の仕事に没頭していた。
CGとネットで、世界が変わるとまだ思っていた。
でも、世界の中で、その時点でパソコンを持つ少数の人数が繋がったとしても、
何も世界が変わりはしなかった。
それよりも、グローバリゼーションの中で、私が
安い賃金で搾取された穀物からできた、輸入された食品を食べていることは、
すでに、問題の一部に加担していた。私の体は、彼らの搾取の上で作られていた。
そんな私が、アフガニスタンで人が殺されていることに 抗議したとしても、
私はすでに加害者だった。
奢れるものだった。
殺すなという911に反対するデモに参加しても、
どこか上滑りで、
とにかく、まず、自給して、この搾取の輪から外れないと
何も自分はなにも、社会を変革しようと思ったり、人の自由を回復するために
誰かに、意見することはできないと思った。
それでパーマカルチャーを学びに行った。
この10年、仕事をしながら、どうやったら自給できるのか
そしてそれはすごく難しいことで、全然できることではなかった。
日々の糧を得る仕事を週の半分にして、
この一年、残りの半分をナワールの庭で植物を育てることで
今は、ここだけに生活すれば、主食以外の8割は自給できる。
世界に広がる革命は、日本に住む私たちに、きっと不安と混乱と
これから先の生活の不便をもたらすだろう。
だけど、
今の快適さは、誰かのつらい労働の上に成り立った、便利さだった。
だけど、もう一度、取り戻すこと。
土に触ること、そして、いのちを育てることは、そしてそれで自分や
周りの人を養い、お互いが分け与えあい、
お金に換えることなく交歓しあい循環することは、
この一年、それは私のいのちの喜びに繋がる大切な宝物だった。
先送りすることのない、いのちの充足感はこのなかにあった。
なにも恐れることはなくて、パニックになるときもあるだろうけれど、
それはかつてあった、いのちに、土につながり、戻るだけ。
なにも、怖いことはないよ。そして
うまく行けば、それは、きっとあなたの喜びになるよ。
これから先、世界が変わる恐怖を感じるのではなくて、
いのちを充満させる、よろこびを手にする方法を
理解する場に、まだまだ問題は抱えていても、ナワールガーデンがなるように
言葉ではなくて、感じるように。
庭を整備して、一緒に、食べ物を植えよう。
そしてもうすぐ、世界が変わる。
すでに、 ひとつの種の中にすべてが在ったのだから。
その種を蒔くときが、いまから始まった。
やっと、今、このときのために。
2011年2月25日金曜日
2011年2月18日金曜日
満月
月の暦、最初の満月。
とても大きくて、綺麗。
春一番の風のあと、
バーレーンで人が今殺されている。
こんなとき、わたしはどうしらいい?
祈るだけ。
祈るだけ。
遠く離れた国で、解放のために
わたしやあなたと、
同じ命が殺されてつぶされていってる。
わたしにできること、
とにかく、満月のときに、あした種をまこう。
明日、今年初めての、種まきを。
畑に最初に植えるじゃがいもを。
+++
昨日は湘南は嵐。乱れた心と風は一体化して、
満月の今日、仕事に来ていた東京でも、
春の風が吹いた。
心がざわめく。いまも殺されている。
そして、今、わたしには、本当に、どうしようもない。
とにかく、早くナワールの庭に戻り、明日は畑をしよう。
世界の裏側で
とても激しい、春の風が吹いている。
多くの人が沸き立ち、殺されて
内側から花開く、解放と歓喜と熱狂のなか、
血が流れ、いのちが踏み荒らされている。
地球の裏側で、今動いている革命を
わたしは見守ることしかできなくて、
どんなに心が乱れても、
わたしはできることがない。
できることが私には、種をまくことしか、
それしかない。
どうしようもないくらい、ナワール庭の中に
静かな春の風が吹く。
数日前、
周りの同志と仲間が次々に殺される、リアルな夢を見た。
自分が革命のために立ち上がる夢で、
仲間が殺されるたびに
恐怖で起きてまた眠ると、
その夢の続きになる。
2回目、目が覚めて、3回目に眠るとまた同じ夢が続く。
最後は、自分が首をおとされて半分に割られたところで
恐怖の中、目が覚めて、
朝になっていた。
今度の私の命は、
革命のために死なないし、そのために大好きな仲間を死なせは
しないと、目が覚めて思った。
とても、とても、へなちょこな
独りよがりな。
仕方ない。そう思ったのはわたし。
でも、いまバーレーンにいたら、
絶対死んでも、参加している当事者でありたいし
いのちを死なせたくはない。
でも、朝、強くおもった。
逃げることじゃなくて、次に生まれるときには
やっぱり、このやり方じゃなくて、
違うやり方、考えたいと。
本当に泣けるぐらい、強く思った。
この前の「私」が
自分が死ぬ前に見た夢はなんだったか?
革命のために、命を落とすことの不毛さに辟易したのではなかったか?
自分がいましていること。
鳥小屋を作ったり、種をまいたり、残飯から肥料を作ったり
山菜を採ったり、料理をしたり、一緒に食べたり、人と話したり。
このことに何の意味があるのか?
こんな、のんきすぎる日常は
革命には、本当に、値しないけれど。
今度のわたしの生き方には、やっぱり、どうしても
それをするのは、意味がある。
他にすること、思いつかない。
***
満月の今日は、今年始まりを考える日。
今年の私が生み出せるいのちの作付を考える日。
その意味を、問い直す日。
そして春一番が、心の中に。
どうしようもないいのちがつぶされる風が吹く。
自発的な花開く革命は
手段を選ばない。
こんなときに、
地球の裏側で
わたしは、のんびりと、しすぎたいのちの営みを
一年間の野菜の作付や、鳥の飼い方を
かんがえることに、なんの意味があるのか?
他にできることも、あるだろうに。
いま、助けられなくて、本当にごめんなさい。
***
私の作ったものを自分が食べること
みんなで作ったものをみんなで食べること
周りの植物も動物も、いっしょに分け合うこと
とりあえず、それしかわたしには、今できない。
今回は死ぬときに
何を思うか?
思いたいか。
まえの「私」が
解放ためにいのちを落とさせてしまったことの反省は
もういちど、たくさんのいのちをつくって、
いのちの関係性を複雑にし、はぐぐむことで
償いたい。
その春の風は、わたしの心の中に。
でもずっと
離れた所から
いま、この瞬間も、中東で大切な自分のいのちを賭けて
いまこのときに、解放を求めている人たちを見つめて
祈り、そして明日畑にいこう。
願うことは違わないと。
そう、信じて。
それしか。
おなじ満月の下で。
わたしにできることは、
それしか。
twitter
バーレーンで叫ぶ人の声を見ながら、
あした、今年初めて、
ジャガイモを畑にうえよう。
こんなことしか出来なくて。
本当に、ごめん。
とても大きくて、綺麗。
春一番の風のあと、
バーレーンで人が今殺されている。
こんなとき、わたしはどうしらいい?
祈るだけ。
祈るだけ。
遠く離れた国で、解放のために
わたしやあなたと、
同じ命が殺されてつぶされていってる。
わたしにできること、
とにかく、満月のときに、あした種をまこう。
明日、今年初めての、種まきを。
畑に最初に植えるじゃがいもを。
+++
昨日は湘南は嵐。乱れた心と風は一体化して、
満月の今日、仕事に来ていた東京でも、
春の風が吹いた。
心がざわめく。いまも殺されている。
そして、今、わたしには、本当に、どうしようもない。
とにかく、早くナワールの庭に戻り、明日は畑をしよう。
世界の裏側で
とても激しい、春の風が吹いている。
多くの人が沸き立ち、殺されて
内側から花開く、解放と歓喜と熱狂のなか、
血が流れ、いのちが踏み荒らされている。
地球の裏側で、今動いている革命を
わたしは見守ることしかできなくて、
どんなに心が乱れても、
わたしはできることがない。
できることが私には、種をまくことしか、
それしかない。
どうしようもないくらい、ナワール庭の中に
静かな春の風が吹く。
数日前、
周りの同志と仲間が次々に殺される、リアルな夢を見た。
自分が革命のために立ち上がる夢で、
仲間が殺されるたびに
恐怖で起きてまた眠ると、
その夢の続きになる。
2回目、目が覚めて、3回目に眠るとまた同じ夢が続く。
最後は、自分が首をおとされて半分に割られたところで
恐怖の中、目が覚めて、
朝になっていた。
今度の私の命は、
革命のために死なないし、そのために大好きな仲間を死なせは
しないと、目が覚めて思った。
とても、とても、へなちょこな
独りよがりな。
仕方ない。そう思ったのはわたし。
でも、いまバーレーンにいたら、
絶対死んでも、参加している当事者でありたいし
いのちを死なせたくはない。
でも、朝、強くおもった。
逃げることじゃなくて、次に生まれるときには
やっぱり、このやり方じゃなくて、
違うやり方、考えたいと。
本当に泣けるぐらい、強く思った。
この前の「私」が
自分が死ぬ前に見た夢はなんだったか?
革命のために、命を落とすことの不毛さに辟易したのではなかったか?
自分がいましていること。
鳥小屋を作ったり、種をまいたり、残飯から肥料を作ったり
山菜を採ったり、料理をしたり、一緒に食べたり、人と話したり。
このことに何の意味があるのか?
こんな、のんきすぎる日常は
革命には、本当に、値しないけれど。
今度のわたしの生き方には、やっぱり、どうしても
それをするのは、意味がある。
他にすること、思いつかない。
***
満月の今日は、今年始まりを考える日。
今年の私が生み出せるいのちの作付を考える日。
その意味を、問い直す日。
そして春一番が、心の中に。
どうしようもないいのちがつぶされる風が吹く。
自発的な花開く革命は
手段を選ばない。
こんなときに、
地球の裏側で
わたしは、のんびりと、しすぎたいのちの営みを
一年間の野菜の作付や、鳥の飼い方を
かんがえることに、なんの意味があるのか?
他にできることも、あるだろうに。
いま、助けられなくて、本当にごめんなさい。
***
私の作ったものを自分が食べること
みんなで作ったものをみんなで食べること
周りの植物も動物も、いっしょに分け合うこと
とりあえず、それしかわたしには、今できない。
今回は死ぬときに
何を思うか?
思いたいか。
まえの「私」が
解放ためにいのちを落とさせてしまったことの反省は
もういちど、たくさんのいのちをつくって、
いのちの関係性を複雑にし、はぐぐむことで
償いたい。
その春の風は、わたしの心の中に。
でもずっと
離れた所から
いま、この瞬間も、中東で大切な自分のいのちを賭けて
いまこのときに、解放を求めている人たちを見つめて
祈り、そして明日畑にいこう。
願うことは違わないと。
そう、信じて。
それしか。
おなじ満月の下で。
わたしにできることは、
それしか。
バーレーンで叫ぶ人の声を見ながら、
あした、今年初めて、
ジャガイモを畑にうえよう。
こんなことしか出来なくて。
本当に、ごめん。
2011年2月16日水曜日
作業!
雪が降ったりやんだり。積もった雪の間から、毎日たくさんのふきのとう。
少し苦くて、又一年、春が来たと実感します。
てんぷらにしたり、ふき味噌にしたり。
晴れた週末、段々畑と、鳥小屋を作りました。
けいこさんとりゅうへいくん
一番日当たりの良い斜面の
笹を刈って、竹を切って裂いて、段々の畑ができました。
家の前の方は、これからくるチャボのために大工仕事
土台を平らにして、1坪の家を建てていきました
綺麗な夕日でした。
昨日は又雪が降って、
そんなときは一日休み。
雪の中で外で火を焚いたら
雪に反射して、白く光って綺麗でした。
朝になって雪が解けて
翌朝は、堆肥を作るのに、
昨日燃やした灰は、米ぬかと一緒に
土を掘り、埋めて、春の野菜のために
いい土になってくれるように。
もう一度、すべてが回って
すべてか必要な、関係を取り戻せるように。
2011年2月12日土曜日
雪の日
雪が降って一夜明けた。


一日ここから出れない。
雪が降って、日が暮れていく空は、日が沈んでも、
世界が白く光って、墨色の世界になっていった。
散歩へ。
庭と、森の中へ、一緒に出かけた。

竹のアーチが雪の重みで重なって、
小さな部屋になった。
ハンモックに腰掛けて上を見上げると
墨色の空に広がる白い枝が
重なって、網の目に。
こちらに握手してくる雪の手。
白くて、重力のない、大きい世界が、こちらに招待してくれる。
森へ一緒に歩く。
人のルールがない世界へ。
自分の大きさが小さくなったり、大きくなったり。
黒と白の間のたくさんの色だけの
雪が降る森の中。
森のルールに従って、
私は小さくなる。
あなたのルールは
荘厳で大きくて、
つつまれて。
確実に正しいルール。
でも心もとない。とてもとても大きすぎるから
森を歩いて、
そして
人の世界に
この家に戻ってきた。

気がついたことがたくさん。
戻ってきたから。
暖かい明かり。
人と人

ここに、もう一度
暖まるために
戻ってきた。
フリードリッヒの絵の、孤独で静寂な森の世界から
どこにでも存在している荘厳な世界から。
家に、そして
人のルールに。
雪の森から持ち帰ったものは、
そのルールを
私のルールにすること。
人のルールと
あのルールを近づけること。
そしてすべてのルールをなくすこと。
もう一度。
あさ、凍った畑にルッコラをとりにいった。

昨日は昼から雪が積もって、
窓ガラスを磨いて
部屋の中から、外を見てた。

一日ここから出れない。
雪が降って、日が暮れていく空は、日が沈んでも、
世界が白く光って、墨色の世界になっていった。
散歩へ。
庭と、森の中へ、一緒に出かけた。

竹のアーチが雪の重みで重なって、
小さな部屋になった。
ハンモックに腰掛けて上を見上げると
墨色の空に広がる白い枝が
重なって、網の目に。
こちらに握手してくる雪の手。
白くて、重力のない、大きい世界が、こちらに招待してくれる。
森へ一緒に歩く。
人のルールがない世界へ。
自分の大きさが小さくなったり、大きくなったり。
黒と白の間のたくさんの色だけの
雪が降る森の中。
森のルールに従って、
私は小さくなる。
あなたのルールは
荘厳で大きくて、
つつまれて。
確実に正しいルール。
でも心もとない。とてもとても大きすぎるから
森を歩いて、
そして
人の世界に
この家に戻ってきた。

気がついたことがたくさん。
戻ってきたから。
暖かい明かり。
人と人

ここに、もう一度
暖まるために
戻ってきた。
フリードリッヒの絵の、孤独で静寂な森の世界から
どこにでも存在している荘厳な世界から。
家に、そして
人のルールに。
雪の森から持ち帰ったものは、
そのルールを
私のルールにすること。
人のルールと
あのルールを近づけること。
そしてすべてのルールをなくすこと。
もう一度。
2011年2月3日木曜日
月の始まり 月の終わり
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